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新型コロナがあぶり出した民主主義と権威主義の競争

言論の自由はウイルスの伝染を防ぐ社会の「免疫力」を強める

吉岡桂子 朝日新聞編集委員

 中国・武漢市で当局の公表前に新型コロナウイルスに警鐘を鳴らした医師(33)が、自らも罹患(りかん)して亡くなった日を「中国言論自由の日」として心に刻もうと呼びかける知識人がいる。北京大学教授の張千帆さん(56)だ。上海に生まれて南京大学で学び、米国で物理学と政治学の博士号を取得後、中国に戻って憲法の研究を続けながら、教壇に立ってきた。新型コロナ禍があぶり出した中国の言論問題と権威主義と民主主義の体制間競争の行方をきいた。(編集委員・吉岡桂子)

張千帆・北京大学教授

「中国言論自由の日」を呼びかけたわけ

――武漢の李文亮医師が、新型コロナウイルスの存在が正式に公表される前の2019年末、原因不明の肺炎で隔離された患者の情報を知人らに伝え、当局から秩序を乱したと訓戒を受けたあげく、自らも感染して亡くなりました。張さんは命日にあたる2月7日を「中国言論自由の日」にしようと、呼びかけましたね。

 李医師の訃報に接して、私を含めて中国社会にはかりしれない悲しみと憤りが広がりました。その晩は、多くのネットユーザーが弔いの言葉をつぶやき、国民葬のようでした。未知のウイルスに直面し、身近な人の死や自らも死の恐怖に震える庶民にとって、警鐘を鳴らした李さんが死んだことに対する怒りは激しかった。

――彼は生前、「健全な社会の声は一つであるべきではない」(中国メディア「財新」のインタビュー)と語っていました。

 彼の死は我々に、言論の自由は生命と密接な関係があることを見せつけました。武漢では昨年12月に感染例が出ていました。しかし、それを伝えた8人は、デマを飛ばしたとして年明けに処分され、彼らが発した情報は隠されました。

 なので、武漢市民は春節を控えた時期に、4万世帯も集まる宴会を開いたのです。私は1月18日、武漢の体制内にいる知人の学者に感染症について質問しました。湖北省人民代表大会が閉幕した翌日のことです。「たいしたことないよ」と言われました。そのわずか2日後。政府は人から人の感染を認めたのです。

 この時期はコロナの感染拡大を防ぐために、非常に大事なときだった。情報の隠蔽(いんぺい)によって、失わなくてもいい命を失ったのです。言論の弾圧は国民の命を奪う国家の犯罪です。

 ただ、社会というものは、悲しい歴史を忘れていく。どうすれば、こうした事実を人々の記憶にとどめられるか。それで、李医師が亡くなった晩、彼の命日を言論の自由を祈念する日にしようと、個人のSNSを通じて友人たちに呼びかけたんです。

正常なことをした人が「英雄」になってしまう

――反響はどうでしたか。

 共感の声が寄せられました。また、新型コロナのまん延は「言論の自由の圧殺が招いた人災だ」と李克強首相らに訴える公開書簡が知識人有志によって作成されるなか、私の意見も取り込まれました。言論の弾圧につながる法律の改正も求めました。数多くの賛同の署名がありました。

――こうした活動を当局は問題視しませんでしたか。

 私は言論自由の日を呼びかけましたが、(公開書簡の)組織者ではありませんから、大きな問題にはなっていません。大学の管理部門が、あれを言うなこれをするなというのはいつものことです。彼らにとっては、それが仕事です。

――李医師が亡くなったあと、国家監察委員会は李さんに対する訓戒処分を「不当」とし、公安当局も処分を撤回して謝罪を表明しました。

 庶民の怒りを鎮めるためですよ。私は李さんが飛び抜けてすごいことをしたとは思っていないんです。医師として人々の命にかかわる事実を知っているのに黙っていたら、それこそ職業倫理において失格でしょう。

 彼自身もきっと、自分がすごいことをしたとは思っていないはずです。医者として人として普通のことをしたつもりだったと思います。問題は、中国では国家の倫理が低すぎて、それと異なる正常な判断をした人が「英雄」になってしまうことです。

李文亮さんが亡くなった7日、北京市内の河川敷の雪上には「さようなら李文亮」との文字が書かれていた=2020年2月7日、北京市、平井良和撮影

なにが起きたのか、わからない中国

――中国政府は3月、米国主要3紙の記者3人を国外退去処分にしました。

 中国メディアの在米特派員の人数を制限された対抗措置でもあるかもしれないが、基本的には事実の追求が邪魔なんです。中国メディアに対してはもっとひどい管理をしていることは言うまでもありません。

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