岐路にたつ南スーダン野球 次の一手へ切り札の野球人が登場!
野球人、アフリカをゆく(27)アフリカと野球とビジネスの共生を狙え
友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事
アフリカ野球活動の戦友、柴田浩平
私は、準備状況やスケジュールなどを確認したあと、ピーターをンチンビ事務局長に預けて球場を後にし、車で10分の距離にある宿泊先のホテルに戻った。5階フロアのホテルのフロント横にあるレストランに入ると、がっしりした体格の30代半ばの日本人男性が、パソコンを開いてエネルギッシュになにやら打ち込んでいる。
「柴田、お待たせ!」と声をかけると、パッと顔を上げ、爽やかな笑顔で「お疲れ様です!」と返してきた。
彼の名前は柴田浩平、37歳。私との年齢差は親子といってもおかしくないくらいあるが、どちらかというと気のおけない友人のような関係だ。
彼との付き合いは長い。元高校球児で、野球が大好き。2004年当時、21歳の大学生だった彼は、海外の野球普及活動に関心を持っており、立ち上げて間もなかった「アフリカ野球友の会」(アフ友)の門を叩いた。大学卒業後は、いくつかの企業に勤務する傍ら、長年中心的なスタッフとして活躍した。私のアフリカ野球活動の戦友のような存在だ。
これまで、ウガンダやガーナなどでアフ友の活動経験を積み、アフリカの魅力にはまった彼は、ついに30歳の時、日本の中古車をアフリカに輸出する日系企業に転職し、タンザニアの支店に勤務する。
それは、ちょうど私がタンザニアに勤務していた時期だった。私は仕事の傍ら、野球の普及活動にも精を出していた時だったので、かねてから腹心の仲間である柴田は、当然私の活動に加わることになると思っていたが、思いがけずそうはならなかった。それには事情があった。

ダルエスサラームの宿泊先ホテルのレストランで話す柴田さん(右)と筆者
アフリカで成長したバリバリのビジネスマン
「柴田は5年ぶりのタンザニアだろ?」。「いやー、ますます大都会になってますね。びっくりしました」。パソコンの手を休める柴田。3日前からタンザニアに先乗りし、朝から晩まで動き回っていた彼の表情が元気で明るいことに少しほっとし、対面の椅子に腰をかけて私は話を続けた。

過去15年平均6%の経済成長を遂げるタンザニア。経済の中心地ダルエスサラームは人口推定500万人以上。2030年には1000万人になると予想されている。
「当時の職場には顔を出した?」
「はい。あの職場ではいい仲間に出会い、貴重な経験をさせてもらいました。忙しすぎて、野球の活動にはほとんど参加できず、友成さんには申し訳なかったんですけど」
「いや、当時は正直驚いたよ。ばりばりの野球人だった柴田が、なぜ、あんまり野球に関わってくれないのかと、不思議でしょうがなかったな」
「海外での仕事は初めてで、いっぱいいっぱいでしたね。最初は慣れないクレーム処理に忙殺されてました。そのうち、クレームの内容分析をして課題の順位付けをし、予防策をとることでクレームを減らすことに成功したり、タンザニア人スタッフとその喜びを分かち合ったりしました」
「クレーム処理に忙殺、か。よく嫌にならなかったな。逆に野球で気晴らししたくなったりしなかったのか?」
柴田は、当時を回想したのか、一瞬間をおいて、「クレームによって、見えないことを考えるヒントになったんですよね」と返した。
「見えないこと?」
「はい。クレームをするということはそれだけお客さんは必死なんですよね。中古車といっても、タンザニアでは3000ドル(約33万円)とかします。これって、現地の人からするとものすごい高額なわけですよ」
タンザニアと日本では、当時の貨幣価値からすると、10倍から20倍くらいの違いがある。つまり、日本での価値からすると、330万円から660万円くらいのイメージだ。
「僕は、なぜこんな高いものを、タンザニア人はリスクを負って無理して買うんだろう、と不思議に思ったんですよ」
「ほう。商売に必要だから、とか?」
「もちろんそういう人もいます。でも、家族のためだったりとか、旅行したいから、とか。それぞれ夢があり、それを実現したいからなんですよね」
「なるほど。でも、どうやってそれがわかったの?」
「毎日20人くらい接客してましたので、購入目的はコミュニケーションを取る中で自然とわかります。みなさん、仕事だったり家族のために、あるいは自己実現のために無理して頑張ってるんですよね。クレームを減らすためには、顧客満足を実現しないといけない。そのためには、顧客のニーズをわかることがいかに大切かを学んだんです」
よどみなく応える柴田は、まさにバリバリのビジネスマンだ。元気だけが取り柄で、どこか頼りなかった学生時代の彼を知っている私からすると、アフリカの厳しいビジネスシーンで活躍し、成長した姿がまぶしく見える。