花田吉隆(はなだ・よしたか) 元防衛大学校教授
在東ティモール特命全権大使、防衛大学校教授等を経て、早稲田大学非常勤講師。著書に「東ティモールの成功と国造りの課題」等。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
ウイルスが我々に問いかけているもの (3)
急に国家が主役の座に躍り出てきた。
これまで国家は無用に市場に介入すべきでなく、むやみに私権を制限すべきでないとされた。それが自由民主主義における国家の在り方だ。特に、日本には過去がある。国家は、一歩下がっているべきだとの考えが強い。欧州でも、フランスが国家の市場介入に比較的積極的であるのに対し、ドイツは、基本的に国家介入に否定的だ。経済は市場の自由に任せ、私権の制限は慎重であるべきだ。
ところが危機は人の考えを変える。ほんの1カ月前、特措法改正の時、緊急事態宣言は私権の制限を伴うから発出は慎重のうえにも慎重でなければならない、と大方の人が考えた。政府は安易に宣言を出してはならない。実際、総理は、そういう世論の動向を踏まえ、今回、周りがいくら騒いでも、なかなか宣言発出に応じようとしなかった。宣言を決めた時、総理はいみじくも言う。「緊急事態の宣言は慎重でなければならないというのが世論の大勢だったのだが」。世論は180度向きを変えた。
それほどまでの急激な感染拡大だ。「今日のニューヨークは明日の日本だ」と言われても、誰もピンとこない。日本だけは、と思う。だから、3月20日からの3連休で気が緩んだ。しかし残念ながら事態は真逆に進む。都知事が、政府に緊急事態宣言の発出を求め始めたころ、都民は既に強い危機感を抱き始めていた。「政府は何をしているのか」。ようやく出された緊急事態宣言に対し世論は厳しかった。「遅すぎた」
非常時にあって、国民は、トップが果敢にリーダーシップをとることを求める。専門家が、接触を8割減にすべしという。ならば、政府はそれを直ちに実行すべきだ。事態は一刻の猶予もない。3日遅れるだけで、カリフォルニアとニューヨークの差が出る。
あの、政府は私権の制限に慎重のうえにも慎重でなければならない、政府の役割は限定的でなければならない、との考えはいったいどこへ行ったか。人の考えはこうも簡単に変わる。
それも分からないではない。コロナの勢いはあまりに激烈だ。手遅れになれば大惨事だ。現に、対応に失敗した例が日々テレビに大写しにされる。イタリアやニューヨークの二の舞になるわけにはいかない。
それにしても、こう簡単に政府の強権発動が受け入れられていく社会の風潮は脅威でもある。ナチスも、ドイツが「分からないではない」状況に置かれた結果、勢力が増大した。ベルサイユ条約のあの過酷な賠償を課されては、国民が、強力なリーダーシップで社会の閉塞を打ち破ってもらいたいと期待するのも「分からないではない」。
3月末、ハンガリーは首相に、法律を通さず首相命令だけで国民生活を規制できる権限を期限なしに認めた。ヴィクトル・オルバン首相はポピュリストの代表格だ。
コロナ危機で国家は強大になるだろう。世界中で、今までになく強大な権限を持った国家が出現していく。
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