新型コロナを機に教育システムの100年ぶりの一大転換は実現するか……
2020年05月04日
緊急事態宣言が発令されて約1カ月が過ぎ、5月4日には5月末までの延長が決まった。そんななか、4月29日、安倍晋三首相が衆議院予算委員会で「9月入学を検討する」旨の答弁をした(「9月入学「これくらい大きな変化の中では選択肢」」朝日新聞2020年4月29日)。
日本の教育システムの一大転換がふいに訪れた感がある。このような時は、少し立ち止まって、未来を語る前に、過去を知ることが大切だろう。
実は、2020年は桜の時期の入学式、「4月入学」が実現してからちょうど100年に当たる。そこで、本稿では100年前の大改革について述べたい。
「大正デモクラシー」で知られる大正という時代はまた、第1次世界大戦に直面し、文字通りグローバリゼーションと向き合った時代でもあった。それこそ様々な文物が流入したが、フリーメイソンという秘密結社が日本に紹介されたのも大正期のことである(小宮京「日本のフリーメイソンのこと知ってますか?(上)」)。
現在まで続く教育制度の大改革が実現したのも。大正期だった。
今回取り上げる学年暦に注目すると、後に東京大学に発展する官立学校の入学は、そもそも「秋」であった。それは教壇に立つ「お雇い外国人」の関係と考えられている。
興味深いのは、1875(明治8)年時点では、東京医学校(医学部の源流)は11月開始、東京開成学校(法学部・理学部・文学部の源流)は9月開始と、学校によって開始時期が異なっていたことである。もっといえば、1873(明治6)年時点では、私立の慶応義塾は8月開始だった。明治初期、後の大学に発展する学校の開始時期は、バラバラなのが当たり前だったのである。
それ以外の学校、小学校や中学校、女学校、高等師範学校の開始時期もずれていた。これらの学校の開始時期が4月に揃うきっかけは、高等師範学校(現在の筑波大学)が1886(明治19)年に4月入学にしたことであった。
高等師範学校が4月入学とした理由として挙げられているのは、徴兵制による届け出が4月に変わったため、会計年度と一致しないため学校財政の処理が不便なこと、9月入学だと学年試験の時期が「炎熱にして勉学に適せざる」こと、などである。
順番に解説する。
まず、徴兵制についてだが、
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