自己矛盾でも前言撤回でも古くさくても、当事者が「新しい」と言えば「新しい」のか?
2020年05月06日
新型コロナ感染拡大防止をめぐる緊急事態宣言が2020年5月7日以降も延長されることが決まった。
韓国は5月6日から、外出自粛を基本としてきた「社会的距離の確保」政策を終え、事実上、自粛を解く「生活防疫」と名づけたレベルに移行した。
連休明けの日常が大きくかけ離れることになる日韓両国だが、結果的にどちらが正しかったが分かるのは、何年かを経てからだろう。
自粛を強いられる生活の先が見えない日本をさらにいらだたせているのは、政権側から発せられる珍妙な言葉の数々なのではないか、と思う。
安倍晋三首相が緊急事態宣言を5月末まで延長すると発表した5月4日、専門家会議から「新しい生活様式」という提言があった。
なるほどそうか、新しい!と思った人がいただろうか?
毎朝体温チェック、電子決済の積極利用、会話は控えめに、会議や名刺交換はオンラインで。食事の項目では「料理に集中、おしゃべりは控えめに」と態度にまで干渉している。
これらは、政権が緊急事態宣言を出す以前から、専門家や識者が唱えてきた「感染拡大防止のための注意事項」と何ら変わりがない。それを、ここにきて「新しい」とか「様式」とか、このネーミングにはどんな意思が働いたのだろうか。
かつて消費増税(8%から10%へ)が再延期された時、2016年6月1日に安倍首相は「見送り」や「再延期」という言葉を避けて「これまでの約束とは異なる、新しい判断だ」と語っていたのを思い出した。
自己矛盾だろうが前言撤回であろうが、古くさいと思われようが、当事者が「新しい」と言えば「新しい」のだ。モヤモヤを残したまま、怪しい言葉がすっと通り過ぎてしまう。
この言葉の言い換え、造語に近い新語の連発こそが安倍政権の真骨頂であり、その言葉の選び方も絶妙であり、長期政権を維持してきた原動力の一つだったのではないか。
さらに、事の真相を「熱気が落ちついてきたころ」「みんなが薄々分かったころ」「忘れかけたころ」に明らかにするという手法にも秀でている。
緊急事態宣言の継続が決まった5月4日、専門家会議は「新しい生活様式」とともに、コロナウイルスの感染の有無を調べるPCR検査について分析。主要国の中でなぜ日本だけ検査数が少ないのかという疑問に対して、SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)が世界的に流行した際、「検査を担う地方衛生研究所の体制拡充を求める声が起こらなかった」と、検査体制が元々、不備だったことを初めて認めた。
専門家会議がPCR検査の相談をする体温などの目安を示したのが2月中旬。以来、患者や医師が検査を希望してもなかなか受けられない問題は、とうに社会問題になっていた。
PCR検査については、日本が10万人当たりの検査数が188件。イタリアやドイツの約3000件、シンガポール約1700件、韓国約1200件などに比べて極端に低い。
その理由について、2月以来、4月7日の緊急事態宣言後も、その後も、国会などで指摘されてきたのに、国民の私権をさらに制限する緊急事態宣言延長の日に真相がポロッと明らかになったのだ。
しかも、安倍首相は5月4日当日の記者会見で、検査数の少なさについて「首相が検査を増やせと指示しても増えないのは、本気で増やそうとしなかったからではないか?」という質問に対して、こう答えた。
「本気でやる気がなかったわけでは全くない。PCR(検査)をやる人的な目詰まりもあった」
目詰まり。
安倍政権がコロナ問題で好んで使うようになった用語だ。
目詰まりとは、網目や布・フィルターが「ゴミなどで詰まる」という意味だ。患者や、感染が疑われる人をゴミやモノ扱いして「詰まる」と例えたわけだが、単純に「検査を受けたい人、受けるべき人に比べて検査が追いつかない」ということを「目詰まり」と表現するとは、見事な言い換えで、「どうにも仕方がない感」が前面に出てくる。
同様にコロナ禍で多用され始めた言葉に「前広(まえびろ)」がある。
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