第6部「トゥキディデスの罠―経済ナショナリストに率いられた大国間競争」(2)
2020年05月22日
経済的・軍事的な台頭著しい中国に対抗し、ニクソン訪中以来の「関与政策」を終結させ、「競争政策」を始めたトランプ政権。その対中政策は、経済ナショナリストとして中国に貿易戦争を仕掛けるトランプ大統領個人の意思と、中国を抑え込もうと大国間競争を仕掛ける米国としての国家意思から成り立つ。米中両大国の深まる対立は「新冷戦」と呼ばれ、強い結びつきがあったはずの米中経済には分離(デカップリング)の様相も見せ始める。世界を不安定に陥れる米中対立の今を検証する。
トランプ政権の対中強硬路線は、北朝鮮政策とは異なり、政権トップのトランプ大統領のリーダーシップだけに基づいているものではない。米政府という国家としての確固たる意思をもった一貫性した政策といえる。
トランプ政権の対中強硬姿勢を国内外に決定的に印象づけたのが、2018年10月4日に保守系シンクタンク・ハドソン研究所で行われたペンス副大統領の演説である(The White House. “Remarks by Vice President Pence on the Administration’s Policy Toward China” 4 October 2018.)。
トランプ政権は、ペンス演説を政権としての対中政策と位置づけている。ペンス演説を要約すれば以下の通りである。
● 前政権(胡錦濤政権)には、中国で経済的、政治的自由が広まるという希望があった。しかし、その希望は叶えられずについえてしまった。
● 中国共産党は、不公平な貿易、為替操作、強制的な技術移転、知的財産の侵害を行っている。最悪なのが、中国の治安当局が米国の最新の軍事計画を含む科学技術を盗用する首謀者であるという点である。
● 中国は米国を西太平洋から追い出そうとしている。中国艦船は尖閣諸島周辺をパトロールし、南シナ海の人工島では軍事拠点化を進めている。中国軍艦船は9月末、南シナ海で米駆逐艦から45ヤード以内の距離まで接近させるという向こう見ずな嫌がらせをした。
● 中国は国内でキリスト教徒、仏教徒、イスラム教徒を弾圧している。中国・新疆ウイグル自治区では、100万人のウイグル族を収容所に入れ、24時間体制で洗脳している。
● 中国はアジア、アフリカ、欧州、南米諸国に対し、巨額のインフラを提供する代わりに対中債務を負わせる「借金漬け外交」を展開し、影響力の拡大を図っている。
● 中国は米中間選挙に影響力を行使しようとしており、中国が米国の民主主義に干渉しているのは疑いようがない。中国の宣伝工作活動は、米国の企業、映画業界、シンクタンク、学識経験者、ジャーナリスト、公的機関職員に対して行われている。
ペンス演説の特徴は、米国にとっての中国の経済的、軍事的な脅威はもとより、中国国内の人権弾圧、途上国などに対する中国の対外戦略、米国内での宣伝工作活動など幅広い分野の問題を包括的に指摘しているという点にある。
経済ナショナリストとして基本的には中国との経済問題に関心を集中させているトランプ氏に比べ、ペンス氏の演説の方が米国のより強硬な姿勢をあらわしているということができる。
ペンス演説後、ワシントンの外交・安保専門家の間では「新冷戦」という言葉が警戒心をもって語られるようになった。
実は、ペンス演説には伏線がある。
1週間ほど前の9月26日、トランプ大統領は国連安全保障理事会の会合で、「中国が11月の米中間選挙に干渉しようとしている」と批判。中国による選挙干渉の目的について「彼らは我々に勝利して欲しくない。なぜなら私が通商問題で中国と対決する初の大統領で、通商問題で勝利しつつあるからだ」と語った。(The White House. “Remarks by President Trump at the United Nations Security Council Briefing on Counterproliferation | New York, NY.” 26 September 2018.)
会合後には、中国国営の英字紙チャイナ・デイリーの系列紙が米中の貿易戦争の影響で中国が農産品の輸入先を他国に切り替えることで、米国の生産者が損害を被るなどと伝える記事の写真をツイート。「中国は宣伝をニュースに見えるよう(農家が多いアイオワ州の)米紙デモイン・レジスターやほかの新聞に挟み込んでいる」と批判した。
ただし、トランプ氏の主張した中国による選挙干渉は、ロシアによる2016年大統領選への選挙干渉と異なり、あまりにも抽象的な内容だったため、その後の記者会見では「何の証拠があるのか」と逆に記者団から突っ込まれる事態となった。
ペンス演説はこうしたトランプ氏の演説に対する批判への反論という意味合いもあったとみられる。
中国外交・安全保障問題の専門家である米戦略国際問題研究所(CSIS)のボニー・グレイサー上級顧問は、ペンス演説の内容について「政権としての対中政策の『青写真』を示したとは思わない。中国に関するあらゆる問題が網羅されていると思うが、解決策にはあまり言及されていない」という厳しい評価をしている。国連安保理におけるトランプ演説への批判を受け、政府内の各部署のもつ中国関連の問題を集め、ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)がそれらをつなぎ合わせて発表したものだろう、という見方を示した(ボニー・グレイサー氏へのインタビュー取材。2019年4月29日)。
グレイサー氏の指摘する通り、ペンス演説は実のところトランプ政権として新たな対中政策を示したというよりも、米国の外交・安全保障の指針となる国家安全保障戦略(NSS)(The White House. “National Security Strategy of the United States of America.” December 2017.)で打ち出された対中政策を土台に組み立てられた政治的メッセージという性格の方が強い。
元国務省高官は「ペンス演説は、NSSの問題意識に基づき、具体的な事実を語ったものであり、さほど驚くことはなかった」と語る。実際、ペンス演説では最初にNSSについて言及し、「トランプ大統領はNSSの中で、中国に対して新しいアプローチをとることを明らかにした」と指摘している。
NSSはトランプ政権後発足から約1年後の2017年12月に策定され、冒頭で「アメリカ・ファーストを実践することが米国政府の義務であり、国際社会における米国のリーダーシップの基本」だと定義づけた。これにより、トランプ氏の唱えるアメリカ・ファーストが国家的な政策目標として米政府全体で共有されたことになる。「米国民、米国土、米国流の生活を守る」という章では、国境に壁を築いて国境管理を強化し、厳格な移民制度を導入することが安全保障の中核だ、と位置づけている。
NSSで重要なのが、米国にとっての中国の新たな位置づけだ。
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