藤原秀人(ふじわら・ひでひと) フリージャーナリスト
元朝日新聞記者。外報部員、香港特派員、北京特派員、論説委員などを経て、2004年から2008年まで中国総局長。その後、中国・アジア担当の編集委員、新潟総局長などを経て、2019年8月退社。2000年から1年間、ハーバード大学国際問題研究所客員研究員。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
世論を無視できず封鎖を緩和。感染者は増え続け、「巨象」はもがく
その後、北京や東京などでインドの外交官やジャーナリストと接触する機会は少なくなかったが、了見の狭い「中国屋」の壁を破ることはできなかった。
それでも、中国の進める巨大経済圏構想「一帯一路」に背を向けつつも首脳往来は続けたり、民主主義国として日米との関係を重視したり、と独自の存在感を示すインドを再訪しようとは思い続けていた。昨春に北京で骨折した足首がほぼ癒えた昨秋、航空券を取り、ホテルを予約した。新型コロナウイルスはまだ姿を見せていなかった。
インドに行くことを決めてから、私はにわかインドウオッチャーになり、インターネットでインド政府やメディアの情報を漁り始めた。在インド日本大使館発のメールのチェックも欠かさなかった。
「1月30日付インド保健・家庭福祉省によれば、ケララ州において、中国・武漢大学の学生1名が新型コロナウィルス(ママ)に感染していることが確認されたとのことです」。在チェンナイ日本総領事館が1月30日に出したアラートだ。インド政府の発表やメディアの報道もチェックしたが、このアラートは間髪を入れずに出されていた。中国武漢での経緯と比べると極めて速いのに驚いた。中国とは異なるインドの情報公開のスピードと言論・報道の自由を感じた。
インドでの感染者はその後急速に増えたわけではなかったが、劣悪な医療体制もあるのだろう、インド政府は外国からの入国制限を急いだ。ただ、それがわが身に及ぼうとは夢にも
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?