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新型コロナウイルスとの戦い、「世界最大の民主主義国家」インドを忘れまい

世論を無視できず封鎖を緩和。感染者は増え続け、「巨象」はもがく

藤原秀人 フリージャーナリスト

新型コロナウイルス感染拡大に伴うインド国内封鎖のイメージ。shutterstock.comshutterstock.com

 柄にもなくインドのことを考えている。

 直接関わりのない事象に問題意識を持つのは、私のような凡人には難しい。それでも、24年ぶりにインドを訪れたことで、この人口13億余りの大国が、新型コロナウイルスとの戦いに、もがき苦しむ姿から目を背けることができなくなった。

 新型ウイルス発祥の「世界最大の独裁国」中国は、共産党による「人民戦争」で国民を統制、動員して感染拡大を抑え、逆に感染対策で各国を支援する「マスク外交」に打って出るまでに「回復」した。中国に次ぐ人口のインドは3月25日に全土封鎖措置を始めたが、感染者の増加に歯止めがかからず、5月3日まで再延長されていた封鎖措置は4日、「ロックダウン3.0」として、さらに17日まで2週間延びることになった。「巨大な象」の苦闘は、言論の自由があり野党も存在する「世界最大の民主主義国」の戦いだからだとも思う。

コロナウイルスへの注意を呼び掛ける看板=3月、ムンバイで藤原秀人撮影コロナウイルスへの注意を呼び掛ける看板=3月、ムンバイで藤原秀人撮影

24年前に触れた自由と貧しさ

 私は新聞社の北京特派員をしていた1996年にインドを訪れた。当時の江沢民・中国国家主席の訪問に同行するためだった。中国元首初めての訪印で、1962年の国境紛争の後遺症から対立しがちだった両国関係の転機となる歴史的な出来事といえた。

 あの時、個人的にはニューデリーの街並みに当局の宣伝看板が少ないことが新鮮だった。北京では「団結」や「統一」「精神文明」など共産党のスローガンを掲げた看板や垂れ幕があちこちにあったからだ。もっと驚いたのが、インドのジャーナリストたちが私たち同行の日本人記者を前にして、「中国は覇権国家」と批判するだけでなく、「江主席訪問を受け入れたのは時期尚早だ」などと政府批判を繰り広げたことだった。大げさだが、中国にはない「言論の自由」を実感した。

 そして、道路をひたすら歩く人が目立った。バスや電車の混雑を避けているのかと思ったら、「交通費がないからだ」と知り合ったインド人ジャーナリストから教えられた。歩いていても、車に乗っていても、物乞いに付きまとわれた。「中国人か」と尋ねられ「日本人だ」と答えると握手を求められ、「日本はいい国だが、それにひきかえ中国は……」と返ってくる。日中関係でもそうだが、戦火を交えた歴史は忘れられないのだと思った。

コロナの前に再訪を決めて

 その後、北京や東京などでインドの外交官やジャーナリストと接触する機会は少なくなかったが、了見の狭い「中国屋」の壁を破ることはできなかった。

 それでも、中国の進める巨大経済圏構想「一帯一路」に背を向けつつも首脳往来は続けたり、民主主義国として日米との関係を重視したり、と独自の存在感を示すインドを再訪しようとは思い続けていた。昨春に北京で骨折した足首がほぼ癒えた昨秋、航空券を取り、ホテルを予約した。新型コロナウイルスはまだ姿を見せていなかった。

 インドに行くことを決めてから、私はにわかインドウオッチャーになり、インターネットでインド政府やメディアの情報を漁り始めた。在インド日本大使館発のメールのチェックも欠かさなかった。

 「1月30日付インド保健・家庭福祉省によれば、ケララ州において、中国・武漢大学の学生1名が新型コロナウィルス(ママ)に感染していることが確認されたとのことです」。在チェンナイ日本総領事館が1月30日に出したアラートだ。インド政府の発表やメディアの報道もチェックしたが、このアラートは間髪を入れずに出されていた。中国武漢での経緯と比べると極めて速いのに驚いた。中国とは異なるインドの情報公開のスピードと言論・報道の自由を感じた。

 インドでの感染者はその後急速に増えたわけではなかったが、劣悪な医療体制もあるのだろう、インド政府は外国からの入国制限を急いだ。ただ、それがわが身に及ぼうとは夢にも

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