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コロナ危機で加速する米中経済の分離/「冷戦」は「熱戦」に変わるのか?

第6部「トゥキディデスの罠―経済ナショナリストに率いられた大国間競争」(5)

園田耕司 朝日新聞ワシントン特派員

 経済的・軍事的な台頭著しい中国に対抗し、ニクソン訪中以来の「関与政策」を終結させ、「競争政策」を始めたトランプ政権。その対中政策は、経済ナショナリストとして中国に貿易戦争を仕掛けるトランプ大統領個人の意思と、中国を抑え込もうと大国間競争を仕掛ける米国としての国家意思から成り立つ。米中両大国の深まる対立は「新冷戦」と呼ばれ、強い結びつきがあったはずの米中経済には分離(デカップリング)の様相も見せ始める。世界を不安定に陥れる米中対立の今を検証する。

孔子学院、続々閉鎖

 米中が覇権を競い合う中、米国内では中国のソフトパワーの自国への浸透を恐れる動きも起きている。

 中国人講師の陳蒙氏がスライドで中国語の文章を示し、「発音しましょう」と呼びかけると、10人余りの学生が「私は旅券を持って大使館に行きました」と中国語で読み上げた。

 2019年5月6日、米カリフォルニア大サンタバーバラ校(UCSB)。中国語初級の授業のひとこまだ。

 陳さんの授業は孔子学院のプログラムの一環だ。孔子学院とは、中国教育省傘下の国家漢語国際推進領導グループ弁公室(漢弁)が世界各地の大学などと連携して運営する教育機関。中国語教育や中国との文化交流を行う。

 中国政府の国家プロジェクトとして2004年に開始。ホームページによると、2018年12月末現在で147カ国・地域に計548校開設。米国には最多の105校、日本には15校ある。

 UCSBも2014年、孔子学院本部(北京)と合意し、同校に孔子学院を開設。本部から中国語教科書3千冊と資金15万ドルの提供を受けた。陳氏は中国から派遣され、給与は本部が負担する。

 「私たちの大学は公立校であるため、財政は限られる。陳氏の存在にはとても助けられている」

 UCSBで孔子学院を担当するメイフェア・ヤン教授はこう語った(メイフェア・ヤン氏へのインタビュー取材。2019年5月6日)。ヤン教授によれば、同学部所属の中国語講師は3人だけ。陳氏が年間5~6クラスを受け持つことで、より多くの学生に中国語の授業を提供できるようになったという。

 米国内の孔子学院の設置は2005年3月のメリーランド大を皮切りに始まり、UCSBを含め世界最多の120校近くにのぼった。ところが最近、米国内の孔子学院が続々と閉鎖するという異変が起きている。

 全米学者協会(NAS)の調べによれば、閉鎖数は2014~16年まで3校だったが、トランプ政権発足後の2017年は1年間で3校、2018年は8校、2019年は17校と急増。2020年は5月現在ですでに7校にのぼる(Peterson, Rachelle. “Confucius Institutes in the US that Are Closing.” National Association of Scholars May 2020.)。

大統領執務室で中国の劉鶴副首相(右)と会談するトランプ大統領と政府高官たち=ワシントン、ランハム裕子撮影、2019年1月31日

 背景には「中国は米国の知的財産を盗んでいる」という批判が高まり、孔子学院を「国家安全保障の脅威」とみる事情がある。

 2018年8月に成立した国防権限法では、米国防総省が資金を出す中国語講座「フラッグシッププログラム」について孔子学院関連を対象外にするという条項を盛り込んだ。この結果、孔子学院を閉鎖する大学が相次いだ。

 こうした動きに、ヤン教授は「中国政府から『こう言え、ああ言え』と指示されたことは一度もない。トランプ政権には孔子学院が中国のイデオロギーを広めているという恐怖心があるが、それは誇張されたものだ」と反論した。

「非理性的な恐怖」と懸念の声も

 「中国のスパイ活動ほど深刻な脅威はない。彼らは情報機関や国営企業、民間企業を始め、大学院生や研究者ら様々な人々を使って情報を盗んでいる」

 2019年4月下旬、米ワシントン。連邦捜査局(FBI)のクリストファー・レイ長官が講演でそう訴えた後、「我々は孔子学院を懸念している」と強調した(Council on Foreign Relations. “A Conversation With Christopher Wray.” 26 April 2019.

 レイ氏は1年前ほどの米上院公聴会でも「我々は孔子学院を注視している。いくつかの事例は捜査段階にある」と語っていた。

米上院の公聴会で証言する連邦捜査局(FBI)のクリストファー・レイ長官=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年2月13日

 米捜査当局が孔子学院を警戒する背景には、米国の大学で中国のスパイ活動に対する懸念が高まっている事情がある。最先端技術の研究を盗まれるという危惧もあり、マサチューセッツ工科大学は同年4月、中国情報通信大手の華為技術(ファーウェイ)と中興通訊(ZTE)との協力関係の打ち切りを決めた。

 連邦議会では、孔子学院に対する圧力強化を求める声が超党派で広がっている。対中強硬派で知られる共和党の有力議員、マルコ・ルビオ上院議員(フロリダ州選出)は2018年2月、同州内の大学4校に書簡を送り、孔子学院との契約打ち切りを求めた(U.S. Senator Marco Rubio (R-FL). “Rubio Warns of Beijing's Growing Influence, Urges Florida Schools to Terminate Confucius Institute Agreements.” 5 February 2018.)。その後、3校が閉鎖を発表した。

 孔子学院が米国で急速に増え始めたのは、2007年の金融危機以降だ。中国語の授業を増やしたいが、資金難で対応できなかった大学にとって、孔子学院は「渡りに船」だった。

 ところが、2014年6月、米国大学教授協会(AAUP)が「孔子学院は中国政府の一機関で、『学問の自由』を無視している」と批判する声明を発表。孔子学院本部を運営する漢弁が大学側と結ぶ合意文書のほとんどに非開示条項があり、「教員を管理することや授業内容の選択をすることが孔子学院側に許されている」と問題視した。その上で、大学に対し、自主性と「学問の自由」が担保されない限り、契約を打ち切るよう求めた(American Association of University Professors (AAUP). “On Partnerships with Foreign Governments: The Case of Confucius Institutes.” June 2014.)。同年9月、シカゴ大は米国で初めて孔子学院閉鎖を決めた。

 孔子学院排除の動きを戒めたり、排除の根拠を疑問視したりする声も出始めている。

 政府機関を監視する米政府監査院(GAO)は2019年2月、孔子学院を運営する米大学10校に聞き取り調査した報告書を公表。複数の大学の孔子学院で、チベット問題や南シナ海問題、宗教問題といった中国政府に批判的なテーマでイベントを開催し、大学側は「中国側から制限を受けたことはない」と回答していた(United States Government Accountability Office. “Agreements Establishing Confucius Institutes at U.S. Universities Are Similar, but Institute Operations Vary.” February 2019.)。

 これは、米上院常設調査小委員会が同月公表した報告書の「孔子学院は台湾独立問題や天安門事件など物議を醸す議題は扱わない」という記述と食い違っている(PERMANENT SUBCOMMITTEE ON INVESTIGATIONS UNITED STATES SENATE. “CHINA’S IMPACT ON THE U.S. EDUCATION SYSTEM.”)。

 また、GAOの報告書によると、10校すべてが「孔子学院のカリキュラムは大学側の完全な支配下にある」と回答していた。これも、小委員会報告書の「中国政府は米国の孔子学院のほぼすべての分野を支配下におく」という記述と異なっている。

 最初に孔子学院の問題点を指摘したAAUPからも、米政界の圧力については「行き過ぎ」と懸念する声が上がっている。

 AAUPの「学問の自由」委員会議長で、カリフォルニア州立大イーストベイ校名誉教授のヘンリー・ライクマン氏は「孔子学院の閉鎖は、我々が懸念する『学問の自由』が理由ではなく、中国のプロパガンダに対する非理性的な恐怖によるものだ。中国政府の見解に我々が賛同しようがしまいが、米国社会は中国に対するすべての見方にオープンであるべきだ」と語った(ヘンリー・ライクマン氏へのインタビュー取材。2019年2月19日)。

「米国は中国から独立宣言するべきだ」

 2017年のトランプ政権発足以来、米国人の対中感情は悪化を続けている。

 米世論調査機関ピュー・リサーチ・センターによれば、中国を「好ましくない」と答えた米国人の割合は、2017、18年は47%だったが、2019年は60%に跳ね上がり、2020年は66%とさらに増えた。2005年の調査開始以来、最悪の数字であり、政権発足以来20ポイント近く上がったことになる。

 中国の国力や影響力を「大きな脅威」と感じる米国人も62%にのぼった。同センターは「中国を原因とした雇用喪失や貿易赤字などの経済的要因が米国人の大きな懸念となっている。これに加え、中国の人権政策や環境汚染などの問題も米国人の懸念材料となっている」と指摘する(Devlin, Kat, Silver, Laura and Huang, Christine. “U.S. Views of China Increasingly Negative Amid Coronavirus Outbreak.” Pew Research Center 21 April 2020.)。

 「地政学の逆襲」などの著書で知られる米ジャーナリストのロバート・カプラン氏は「米中関係はこの数年間で悪化することが宿命づけられている」と語る(ロバート・カプラン氏へのインタビュー取材。2019年5月14日)。

 「習近平国家主席の下にある中国はかつての米ソ冷戦のように、米国との間でイデオロギー上の対立を作り出し、西太平洋で軍事的にも対立している。米中の経済関係は米ソよりも絡み合っているが、経済的な結びつきは弱まりつつあり、貿易戦争はその始まりだ。ゆえに現在の米中関係を『新冷戦』と言い表すのは合理的だと思う」

 米中間の経済的な結びつきの強さこそが米ソ冷戦とは異なり、当時と同じ状況に陥ることを防ぐと見られてきたが、カプラン氏は「米中間の政治的、軍事的な緊張の高まりから中国国内の米企業は不安を感じている。彼らはすでに第三国へと製造業の拠点を移し始めている」と語り、「米中経済の分離(デカップリング)のプロセスは始まっている」と指摘する。

 コロナ危機の発生で米中経済のデカップリングはさらに加速する可能性がある。

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