メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

岡本行夫さんが遺した言葉

日本の安全保障を巡る議論は、日本の成長を妨げてきた事なかれ主義の象徴だ

牧野愛博 朝日新聞記者(朝鮮半島・日米関係担当)

 外交評論家の岡本行夫さんが4月24日、亡くなった。

 5月7日夜、報道各社が一斉に流した速報を半ば信じたくない思いで聞いていたが、8日朝、岡本さんが代表取締役を務めていた岡本アソシエイツから改めて訃報を伝えるメールが届き、愕然とした。

 岡本さんと初めて出会ったのは、1996年11月に橋本龍太郎内閣で首相補佐官に就任されたころだった。

 当時、外務省担当だった私は、岡本さんのタブーにとらわれない外交論に魅了された。岡本さんの考え方には、保守が唱える「日米同盟死守」も、革新が訴える「憲法9条死守」もなかった。常に自分で学び、自分で考えていた。

 橋本内閣では沖縄問題に、再び首相補佐官となった小泉内閣ではイラクの問題にそれぞれ取り組んでいた。

岡本行夫さん=2007年11月28日、東京都港区

 岡本さんも1991年までは外交官であり、公僕であった。ただ、当時から異色の外交官と言われていた。

 外務省の後輩の1人から岡本さんらしい逸話を聞いたことがある。北米一課長時代、岡本さんはいつも外出していた。記者はもちろん、外務省の同僚たちも岡本さんを探し回っていた。外部で政治家や外交官、様々な人と会っていたらしい。岡本さんは課長席に背広をいつもかけておき、「在庁中」というアリバイを作っていたという。

「米国ばかりみていると、足元がおろそかになる」

 米国と韓国での4年半の勤務を終えて昨春に帰国した私は、昨年6月12日、岡本さんと久しぶりに面会した。帰国報告のつもりだったが、いつものように、独自の視点と豊富な経験に裏打ちされた岡本さんの話に圧倒された。話題は安全保障が中心だった。

 最初の話題は、近年、「米政府の言いなりで、米国兵器を爆買いしている」という批判があるFMS(米国による対外有償軍事援助)だった。

 FMSは近年、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」などの調達で増加傾向にある。2019年度予算ではFMSは7千億円余りになり、防衛費全体の1割以上を占めた。

岡本行夫さん=2016年3月30日、東京都港区
 岡本さんは「米国のことばかりみていると、足元がおろそかになる」と嘆いた。「米国にばかり武器を発注するから、国内産業に受注が回らない。このままでは先細りだ」と語った。最近も、防衛産業から撤退した企業が出たため、航空機の操縦席を覆うキャノピーや車輪などの製造が国産でできなくなりそうだとも語った。

 岡本さんが言いたかったのは、「米国にばかり追従するな」という論理だけではなかった。「武器輸出三原則の緩和は、死の商人を作る」という主張とどうやって折り合いをつけるかということだった。米国に頼らない防衛産業の育成を目指すなら、自衛隊だけではなく広く海外にマーケットを広げてやる必要が出てくるからだ。

 岡本さんの話を聞きながら、私はかつて自衛隊の知人の言葉を思い出した。

 知人は名古屋で戦車を製造している企業を視察した当時の思い出を語ってくれた。大きな工場内に、ポツンポツンと陸上自衛隊に納入する戦車が置かれていた。陸自だけを相手に商売をしているから、大量生産の必要がないわけだ。視察に同行した企業の担当者は「カネさえ出してくれたら、どこにも負けない良い戦車をつくってやるのに」と残念そうに語ったという。

「北朝鮮は絶対に核を放棄しない」

 岡本さんとの会話は次に、米朝協議に移った。岡本さんは、2回の米朝首脳会談を取材した私の話を聞いた後、こう語った。

・・・ログインして読む
(残り:約1228文字/本文:約2729文字)