心理的時間としての「コロナ時間」に向き合う
2020年05月18日
地政学では、主として空間という地理的認識が重視されている。陸海空に加えてサイバー空間が考察対象になるのもそのためである(拙稿「サイバー空間と国家主権」を参照)。だが、本当は時間もまた、地政学上の覇権の変遷分析という重要な視角をあたえてくれる。
ゆえに、このサイトにおいて、2020年1月1日付で、「国家と時間 協定世界時(UTC)を導入せよ:「時差」は絶対的なものでは、決してない」を公表した。ここでは、時間にこだわって、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によるパンデミックと時間認識との関係について考えてみたい。
時間を哲学したのはアリストテレスである。彼は、「時間は変化なしには存在しない」と『自然学』(第4巻第11章)で指摘している。我々の心の状態がまったく変わらなかったり、あるいは、その変化に気づかない場合には、時間が経過したと自覚できないと指摘している。この変化こそ「運動」であり、ゆえにアリストテレスは時間を「前後に関する運動の数」と定義している。わかりやすく言えば、過去・現在・未来の「運動」に依存するかたちで時間が決まるというのである。
こうした哲学的洞察以外にも、脳における認知に時間を関連づけて考える「心理的時間」という見方もある。こちらは哲学的考察よりもずっと理解しやすい。たとえば、時計で計測される物理的時間は同じ間隔で安定して進行するのに対して、心理的時間は、楽しいときには短く、退屈なときには長く進行するように感じられる。
有名な「ジャネーの法則」というのがある。哲学者ポール・ジャネーが発案したとされるもので、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例するというものだ。100歳にとっての1年は人生の100分の1、10歳にとって10分の1に相当するから、年を重ねるほど、同じ1年でもそれを短く感じるというのだ。筆者のように年をとってみると、たしかに毎日が以前に比べて短く感じられる。1年もあっという間に過ぎ、死が間近に感じられるようになる。
行動経済学では、こうした心理的時間を利用して、回転率の高さが利益につながるような飲食店では、赤色系の内装をすることが推奨されている。赤色は人間に居心地の悪さを感じさせるので、長居を難しくする心理的効果がある。
緊迫し、神経が高ぶり、代謝が激しくなると、心理的時間は長く感じられる。ドストエフスキーは1849年12月22日、政治犯として処刑場に連れてゆかれる。「ぼくらはセミョーノフスキイ連隊の練兵場へ引かれていきました。そこで僕ら一同は死刑の宣告を読み上げられ、十字架に接吻させられ、頭の上で剣が折られ、ぼくらは死装束(白いシャツ)を着せられました」と、兄への手紙のなかで報告している。
ただ、処刑直前になって、死刑執行は皇帝ニコライ一世の恩赦で免れた。この経験から、ドストエフスキーは『白痴』や『カラマーゾフの兄弟』などで、処刑前の状況を何度も描いている。前者では、主人公のムィシュキン公爵に処刑人の制服の下のほうのボタンがさびているのが見えたと言わせている。いわば、スローモーション・カメラのように時間がゆっくりと進み、死を目前にした緊張が心理的時間を長く感じさせているのだ。
英国の心理学者、ルース・オグデンはパンデミック中の時間認知について研究を進めている。人々が自宅待機といった「自己隔離」状態のなかで、1日をより長く感じているのか、あるいはより短く認知しているかなどを調査している(WIRED5月8日付)。800人以上の回答では、「半分はより速く、半分はよりゆっくりとなっている」としているという。
新型コロナウイルスがもたらした隔離状態のなかで、個々人が感じる心理的時間である「コロナ時間」は既存の物理的時間とは異なる時間感覚を人々に感じさせていることになる。ただし、その感覚の
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