野球人、アフリカをゆく(28)ガーナの監督、「アフ友」を経て、いよいよジャンプへ
2020年05月16日
<これまでのあらすじ>
かつてガーナ、タンザニアで野球の普及活動を経験した筆者が、危険地南スーダンに赴任し、ここでもゼロから野球を立ち上げて1年3か月が過ぎた。アメリカ帰りのピーターと出会い、女子ソフトボールの発足も視野に入ってくる中、アフリカ野球支援の土台となっていた「アフリカ野球友の会」の解散が決まり、南スーダン野球は後ろ盾を失おうとしていた。自立発展をしていくための次なる一手は、新たな組織の設立。かつての野球人仲間と共に、アフリカ野球の発展を目指し、新たなビジネスモデルを築くチャレンジを始めようとしていた。
「かんぱーい!」
7回目を迎える「タンザニア甲子園大会」の前日。ダルエスサラーム市内にある日本食レストラン「Osaka」の一角で8人の声が一つになった。
2019年12月5日から8日までダルエスサラーム甲子園球場で行われる「甲子園大会」は、18チーム、約300人が集う大きな催しだ。
主催するタンザニア野球連盟の大会運営を支援するため、「アフリカ野球友の会」(アフ友)は、毎年運営支援のボランティアを送ってきた。今大会も、映像撮影の近藤玄隆(第13話で登場)、写真撮影、試合運営支援やスコアラーなどで、社会人や大学生計5人が日本からきてくれた。それに、柴田浩平(第27話で登場)と南スーダン野球連盟事務局長としてピーター、そして私が加わり、翌日から始まる4日間の大会の成功を祈って、決起集会兼顔合わせ会を開催したのだ。
ほどなく、寿司盛り合わせや鉄火丼など、日本料理が次々と運ばれ、テーブルを彩り始める。ピーターはもちろん、ここ数年、アフ友の活動に顔を出していなかった柴田も初めて会う人が多いために、会話は二人に質問が集中する。
日本ではまずお目にかかれない南スーダン人とあって、みんな興味深々だ。
柴田にも質問が振られる。実は柴田がタンザニアに来ているのは、アフ友のメンバーとしてではなく、新しく立ち上げる財団法人の事務局長として来ているのだ。
「アフ友からしばらく離れていたということですが、どういう流れで財団法人の事務局長になったんですか?」という問いに、「そうですね…。今年の7月に友成さんと久しぶりに再会して、いろいろ話していくうちに、自分がしっくりきたというか…。一言で言ったら、新しい財団法人の趣旨が僕のやりたいことのど真ん中だったんです」と淀みなく、よく通る声で応える柴田に、「友成さんの押しの強さに流されたわけじゃないんですね」とスタッフの一人から茶々が入る。
「またそういう人聞きの悪いことを!」と割って入る私を見て笑いながら、「即答したわけじゃないんですよ。南スーダンにいる友成さんと2、3カ月、オンライン電話で何度も話し合いをする中で、これに関わる自分が、イキイキとしていることに気づいたんです」と柴田。
「そうだよな。柴田が11月に立ち上げメンバーとして正式に加わるまで、10回以上話し合ったよな」と私が言い添えると、柴田は苦笑いしながら「後半の半分くらいは、もう具体的な打ち合わせになってましたけどね」と返す。
「じゃあ、柴田さんは、もう完全な財団法人の事務局のメンバーなんですね」とさらなる質問。「いや、いや、単なる事務局のメンバーじゃないよ。今や、彼はね…」
私は、少し詳しくいきさつを説明した。
財団法人は、野球界やソフトボール界から要人に参加いただき、既に事務局の事務所も設置されていること。初期投資の支援も理事から提供があり、財団法人立ち上げのための実行委員会をつくったこと。そして、1カ月前の11月から実行委員会事務局の専属スタッフとして中心的に活躍し、直前の12月3日には登記をして、正式に財団法人として立ち上がり、柴田が事務局長に就任したこと……。
「そして、この団体の名称が、『一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構』というんだよ。この財団が、アフ友が解散したあと、事業を継承していくんだよね」と私が説明を締めると、柴田がさらに「英語名称がJapan-Africa Baseball and Softball Foundationというんです。短縮してJ-ABS(ジェイエイブス)と呼びます」と加えた。
唯一の大学生として参加している女性が、「へー、なんかかっこいい呼び名ですね」と言うと、間髪いれず柴田が「まだ中身がないんだけどね」と笑う。
「誤解ないようにいうとね」とすかさず私がまた入る。
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