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アフリカ野球の新たなチャレンジ、J-ABSが始動!

野球人、アフリカをゆく(28)ガーナの監督、「アフ友」を経て、いよいよジャンプへ

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

新しい財団法人の事務局長・柴田浩平

 ほどなく、寿司盛り合わせや鉄火丼など、日本料理が次々と運ばれ、テーブルを彩り始める。ピーターはもちろん、ここ数年、アフ友の活動に顔を出していなかった柴田も初めて会う人が多いために、会話は二人に質問が集中する。

拡大ダルエスサラーム市内にある日本料理レストラン「Osaka」で、ピーターに質問するアフ友のメンバーたち。
 「ピーターさんは、どうして野球を始めたんですか?」「ピーターさんはアメリカのクラブチームではどのポジションだったんですか?」「ピーターさんは南スーダンで普段はなにをしているんですか?」「身長高いですね。何センチあるんですか?」

 日本ではまずお目にかかれない南スーダン人とあって、みんな興味深々だ。

 柴田にも質問が振られる。実は柴田がタンザニアに来ているのは、アフ友のメンバーとしてではなく、新しく立ち上げる財団法人の事務局長として来ているのだ。

 「アフ友からしばらく離れていたということですが、どういう流れで財団法人の事務局長になったんですか?」という問いに、「そうですね…。今年の7月に友成さんと久しぶりに再会して、いろいろ話していくうちに、自分がしっくりきたというか…。一言で言ったら、新しい財団法人の趣旨が僕のやりたいことのど真ん中だったんです」と淀みなく、よく通る声で応える柴田に、「友成さんの押しの強さに流されたわけじゃないんですね」とスタッフの一人から茶々が入る。

 「またそういう人聞きの悪いことを!」と割って入る私を見て笑いながら、「即答したわけじゃないんですよ。南スーダンにいる友成さんと2、3カ月、オンライン電話で何度も話し合いをする中で、これに関わる自分が、イキイキとしていることに気づいたんです」と柴田。

 「そうだよな。柴田が11月に立ち上げメンバーとして正式に加わるまで、10回以上話し合ったよな」と私が言い添えると、柴田は苦笑いしながら「後半の半分くらいは、もう具体的な打ち合わせになってましたけどね」と返す。

 「じゃあ、柴田さんは、もう完全な財団法人の事務局のメンバーなんですね」とさらなる質問。「いや、いや、単なる事務局のメンバーじゃないよ。今や、彼はね…」

 私は、少し詳しくいきさつを説明した。

新団体の名称は、J-ABS(ジェイエイブス)

 財団法人は、野球界やソフトボール界から要人に参加いただき、既に事務局の事務所も設置されていること。初期投資の支援も理事から提供があり、財団法人立ち上げのための実行委員会をつくったこと。そして、1カ月前の11月から実行委員会事務局の専属スタッフとして中心的に活躍し、直前の12月3日には登記をして、正式に財団法人として立ち上がり、柴田が事務局長に就任したこと……。

 「そして、この団体の名称が、『一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構』というんだよ。この財団が、アフ友が解散したあと、事業を継承していくんだよね」と私が説明を締めると、柴田がさらに「英語名称がJapan-Africa Baseball and Softball Foundationというんです。短縮してJ-ABS(ジェイエイブス)と呼びます」と加えた。
唯一の大学生として参加している女性が、「へー、なんかかっこいい呼び名ですね」と言うと、間髪いれず柴田が「まだ中身がないんだけどね」と笑う。

 「誤解ないようにいうとね」とすかさず私がまた入る。

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筆者

友成晋也

友成晋也(ともなり・しんや) 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

中学、高校、大学と野球一筋。慶應義塾大学卒業後、リクルートコスモス社勤務を経てJICA(独立行政法人国際協力機構)に転職。1996年からのJICAガーナ事務所在勤時代に、仕事の傍らガーナ野球代表チーム監督に就任し、オリンピックを目指す。帰国後、2003年にNPO法人アフリカ野球友の会を立ち上げ、以来17年にわたり野球を通じた国際交流、協力をアフリカ8カ国で展開。2014年には、タンザニアで二度目の代表監督に就任。2018年からJICA南スーダン事務所に勤務の傍ら、青少年野球チームを立ち上げ、指導を行っている。著書に『アフリカと白球』(文芸社)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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