世界の潮流である「超過死亡」を、なぜ日本のメディアは無視するのか
2020年05月20日
われわれ今地球に生きている人間誰しもが経験したことのないコロナウイルスによるパンデミック状況の下で、ウイルスは、民族や宗教、人種、性別、肌の色、政治信条、趣味の違いを超えて人の身体の内部に侵入し、目に見えない人々の海の中を潮の満ち干のように大きく侵しては引いていく。
潮の満ち干のような大きな波は、2月から5月にかけて無防備状態の列島を音もなく侵襲し、今また引き潮時のような兆しを見せ始めている。
しかし、潮の満ち干が日々繰り返されるように、人々の繋がりの海がある限りウイルスの満ち干は繰り返されるだろう。その大きい二つ目の波が秋にやって来るのか冬に来るのかは誰にもわからない。
予測される第2波に備えて、人々は列島のそこかしこに見えない堤防を築き上げようと考え始めている。その努力はいろいろなところで始まっているが、私が寄稿している『論座』でも、第2波に備えたディスカッションであるオンライン鼎談(下のURLからご覧ください)が行われた。
https://www.youtube.com/watch?v=cgpRSz19_jU
「私はコロナから生還した」~感染したジャーナリストが語る検査の実態。医師は、行政はどうする? ★論座オンラインイベント★
『論座』編集長である吉田貴文氏が司会役を務め、ウイルスに対抗する司令塔役の知識を持つ上昌広・医療ガバナンス研究所理事長、ウイルスとの戦いの最前線に立つ一人である保坂展人・世田谷区長に、ウイルスのしぶきを浴びて身体の中に受け容れた経験を持つ私が加わった。
鼎談は、司会役も含めて、参加した4人がそれぞれに座るパソコンの配線を通じてディスプレイ上で行われ、ウイルスの入り込む余地はなかった。
しかし、人が人である限り直接的な繋がりがなくなることはない。そこに入り込んで来るウイルスとの戦いの最前線である医療現場や医療関係者たちは、今もリスクを背負いながら地道な戦いを続けている。
医療関係者が背負っているリスクのひとつの事例を私は5月13日の佐藤章ノート『「37.5度以上が4日以上」の目安は国民の誤解だったと言い放った加藤厚労相の傲慢』で紹介したが、鼎談の中で保坂氏が訴えた病院経営のリスクの話は、これからやって来るCOVIDー19の第2、第3の大きい波を乗り越える上で必ず改善策を考えなければならない話だと痛感した。
病院を襲うリスクはまず直接的なもの、すなわち院内感染だ。
しかし、その院内感染の元をたどると、入院しているCOVIDー19患者からではなく、むしろ街中で感染した人が院内に持ち込んで広がっていったというケースが少なくない。だが、これがいったん広がると、少ないところで20人から30人、多いところでは100人から200人という感染者が発生し、病院は大きいダメージを受ける。
その間、救急医療は止めざるをえなくなり、外来診療も受け付けることができない。
「3月のなかばくらいに、コロナの発熱があっても病院が全然探せない時期がありました。受け入れ先がまったく見つからない。これは、こういう事情があったんです」
そして、病院経営を厳しいボディブローのように苦しめる問題が収益減少だ。
「病院の経営問題は深刻な問題です。コロナ患者を積極的に受け入れた病院は経営的に苦しんでいます。これを今何とかしないと、第2波が来るという時に、矢尽きて刀折れという状態になってしまうんです」
病院経営者とコミュニケーションを取っている保坂氏によれば、COVIDー19陽性の疑いのある患者が入院して8人部屋しか空いていなければ一人でその部屋を使ってもらうしかない。個室に入る場合でも特別に個室料金を払ってもらうわけにはいかない。症状が改善しても陰性になるまでは退院できず、ほとんどのケースで長期入院になる。
「コロナ患者を積極的に受け容れた病院は、現在、どこも前年比億単位の減収という経営難に陥ろうとしているんです。医療機関の経営に対するバックアップは世田谷区としてできることは積極的にやっていこうと思っていますが、国にも求めていきたいと考えています」
COVIDー19との戦いの最前線となった病院の経営が苦難に陥っているということは、もちろん世田谷区だけの問題ではない。
5月1日、日本病院会や全日本病院協会などの4病院団体協議会と日本医師会は、加藤勝信厚生労働相に対し、地域医療の崩壊を防ぐために国が経営支援に力を入れるよう要望書を提出した。
COVIDー19感染症の患者を受け容れている病院は、保坂氏が指摘した、その患者に対する看護体制そのものが生む経営圧迫要因を抱えているだけではなく、別の疾患で来院する患者の足も遠ざかるという責め苦を負っている。この要因によって、全国どの病院や開業医も患者数が大幅に減り、経営を厳しく圧迫し続けている。
特にCOVIDー19感染者の波が拡大し続けた4月以降は外来、入院ともに減少が激しく、診療報酬の支払時期に当たる6月以降の病院経営には深刻な影響が現れると不安視されている。この月は病院職員の賞与月に当たるため、経営者は相当頭を痛めている。
現在、重症患者をICU(集中治療室)などで受け容れた場合に診療報酬点数を倍増するなどの手が打たれているが、病院全体の感染防止策や予防策、COVIDー19患者そのものの与える経営圧迫要因などを考慮すれば、まだまだ手当てが不足していると4団体と日本医師会は訴えている。
保坂氏や私が訴える医療体制の問題を引き取って、上氏はこう議論を展開した。
「モデラーとウイルス学者が対策の方針を決めるというのは世界では例がないんですよ。本当はひとりひとりの患者の積み重ねなんです。だから、医療体制の一番の要は院内感染対策で、あとは病床数や医師数の問題です」
モデラーというのは、数式を使って疫学予測モデルを作り上げていく専門家を指す。安倍政権のこれまでのCOVID-19対策を観察してみると、厚労省のクラスター班に参画している「モデラー」西浦博・北海道大学大学院医学研究院教授の予測モデルに相当程度寄りかかっている。
しかし、その「8割おじさん」が提唱した「8割」という数字もそれほど大きい理論的根拠の岩盤の上に打ち建てられたものではないようだ。そのことは、佐藤章ノートの5月5日『悪いのは「西浦モデル」ではない。何もしてこなかった安倍政権だ』と同8日の『国民に自粛を強いる「8割削減」目標を根底から疑え!』で連続して指摘しておいた。
政府の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」メンバーの顔ぶれを見ると、脇田隆字・国立感染症研究所所長以下12人の構成員のうち、実際の医療現場に立つ医師は釜萢敏・日本医師会常任理事ひとり。
上氏が指摘するように、「ひとりひとりの患者の積み重ね」を土台とする議論が成立しにくい。このため、感染症が襲ってきた場合に病院が陥ることが予測される経営難の問題や院内感染という深刻な問題への想像力や議論が欠如しがちになる。
少なくない国民を熱で苦しめ、加藤厚労相が「我々にすれば誤解」と言い放って激しい批判の的となった「37・5度以上が4日以上」というPCR検査の「目安」も、このような「ひとりひとりの患者の積み重ね」の議論が少ない場から生まれたのではないかと想像される。
「ひとりひとりの患者の積み重ね」がなければ、患者数も死亡者数も、ウイルスの大波の狭間に揺れるただの頭数にしか見えない。
上氏は、そのような事態をうかがわせる、もうひとつの重大な問題を指摘した。
「今、世界は超過死亡を見ているんです」
厚労省によれば、COVIDー19による死者は5月17日午前零時現在で744人。しかし、この死者数は本当に正確なのだろうか。COVIDー19による死と判断されていない事例がたくさんあるのではないか。
日本に限らず、世界中で今、公式数字に対してこのように考えられている。そこで注目を集めている数字が「超過死亡」だ。
超過死亡の数字は、もともとインフルエンザ流行による死者数を推計するための指標だ。インフルエンザがはやっていない時に予測される、悪性腫瘍や心疾患などによる死者数をベースラインとし、流行時の実際の死者数と比較する。流行時に膨れ上がるこの死者数が超過死亡で、感染が原因による死亡を意味している。
COVID-19による実際の死者数を推定する上で、上氏は以前からこの数字に注目しており、5月12日のForbes Japanと4月28日の東洋経済ONLINEに寄稿している。
国立感染研が公表した直近の東京の超過死亡を基に分析したFobes Japanの論考によれば、2月16日から3月28日の6週間にかけて1週間あたり50~60人の超過死亡が認められる。
つまり、1週50人の超過死亡としても、6週間で合計300人の超過死亡が東京で見られたということだ。
この超過死亡と実際の対策の動きを追ってみると、3月24日に東京オリンピックの1年延期が決まり、その日からPCR検査数が増加に転じる。しかし、3月29日~4月4日の週に超過死亡は消滅し、それとは裏腹に4月7日に緊急事態宣言が出される。
つまり、PCR検査がわずかながらも増加に転じるタイミングも、緊急事態宣言が出される日付も決定的に遅れた、ということを意味している。
上氏の論考によれば、世界の医学界が注視しているイギリスの医学誌「ランセット」は5月2日に、「COVIDー19:毎週の超過死のリアルタイム監視の必要性」という論文を掲載した。超過死亡を「リアルタイム」でチェックし対策に反映させることの重要性を説いている。
しかし、日本の安倍政権の中でこの超過死亡が重視された形跡は今のところない。超過死亡の動きを見る限り、対策のひとつひとつは決定的に遅れている。
さらにこの超過死亡データを公表している国立感染研は現在、3月29日~4月4日の週のデータまでしか公表しておらず、概してデータ開示に消極的だ。
この状況を嘆く上氏は、世界の科学ジャーナリズムの潮流であるこの超過死亡データの公表、チェックにほとんど関心を寄せない日本の科学ジャーナリズムにも批判的だ。
上氏は鼎談の中でもう一箇所「ランセット」に触れ、厚労省の中でCOVIDー19対策を担当する健康局結核感染症課の勉強不足と不作為が、現在のPCR検査不足などを招いた一大要因を作ったことを鋭く指摘した。
1月28日に厚労省はCOVIDー19を感染症法に基づく指定感染症に政令指定したが、この指定のために、感染者はたとえ無症状であっても強制入院させられることになった。厚労省はこの時、COVIDー19の無症状感染者の存在を想定していなかった。
そして、無症状者や軽症者は病院以外の企業療養所などで静養隔離するという韓国が取った賢明な政策への道は、これによって閉ざされてしまった。無症状者でも入院しなければならないために早くから病院体制の崩壊が心配され、PCR検査の大幅抑制につながった。
ところが、厚労省がCOVIDー19を指定感染症に指定する4日前の1月24日、「ランセット」誌は、無症状の感染者の存在を報告する香港大学の研究者たちの論考を掲載していた。
結核感染症課の担当者たちがこの論考をいち早く読んで対応を考えていれば、COVIDー19の無症状者の存在を重視し、指定感染症には指定しなかっただろう。
厚労省担当課の勉強不足と不作為が生んだひとつの国家的悲劇だ。
早くからCOVIDー19対策の問題点を指摘し続けている上氏の鋭い分析は、この鼎談で遺憾なく発揮された。
一方、保坂氏は、世田谷区長という立場から、COVIDー19と戦うための地域ネットワークを築いてきたことを報告した。
「今、コロナ治療に積極的に携わる病院の責任者、病院長と頻繁に連絡を取っています。連絡会を作りましたが、地元の医師会とも繫がりながらいいネットワークになって、PCR検査センターも立ち上げました。そういうネットワークがうまく動き出して、PCR検査もスピーディに行えるようになりました」
私は鼎談の中で、保坂氏に対し「総理大臣になっていただきたい」と言ったが、決して阿諛追従ではない。
医療現場の責任者と積極的にコンタクトを持って医療機関の経営の実情を知り、地元医師会との間でもネットワークを築き上げていく情熱こそ、現在のような危機の中で政治家に求められているものなのではないだろうか。
この秋か冬にはやって来るであろうCOVIDー19の第2波に対して、現在の安倍政権がうまく乗り越えていけるのかどうか。第1波への対応を観察する限り、私は極めて悲観的にならざるをえない。
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