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歴史に唐突に現れたナチズム モザイクの一片・古都ニュルンベルクへ

【2】ナショナリズム ドイツとは何か/ニュルンベルク① プロパガンダの跡

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

かつての城郭都市の趣を遺すニュルンベルク中心街へ=2月9日、藤田撮影(以下同じ)

 2月9日早朝、羽田からフランクフルト国際空港に着き、ローカル線で数駅のフランクフルト中央駅へ。ホームは寒く、セーターにベンチコートを着込んでドイツ鉄道(DB)の特急を待つ。まず目指したのはニュルンベルクだ。

ドイツ鉄道のフランクフルト中央駅に停まる都市間特急ICE=2月9日

 国民がまとまろうとする気持ちや動きとしてのナショナリズム、ドイツにおけるその最悪の形としてのナチズムを取材する旅で、ニュルンベルクは欠かせなかった。

 独裁政権を握ったナチスは1930年代にニュルンベルクで毎年党大会を開き、ドイツ各地から数十万の人々を集めた。ニュルンベルクがかつて欧州中央に版図を広げた神聖ローマ帝国以来の古都だからだ。ナチスは支配下のドイツを史上三番目の「第三帝国」になぞらえ、かつてニュルンベルクで開かれた神聖ローマ帝国議会に党大会を重ねた。

 「一つの民族、一つの国家、一人の指導者」を掲げたナチスがもたらした戦争と人権蹂躙の跡はこれからの旅で訪ねるが、そのプロパガンダ(宣伝動員)の象徴がニュルンベルクの党大会だった。その負の遺産をどう受け継いでいるのか。

 特急は時速百キロ前後で、緩やかな起伏を静かに進む。北海道のような白樺の林や牧草地が車窓を流れ、時折、風力発電の巨大なプロペラが繰り返し現れる。東日本大震災を機に脱原発を掲げた国らしい。約2時間で午前中にニュルンベルク中央駅に着いた。

ニュルンベルク中央駅の壁に描かれたかつての城郭都市

ゲルマン国立博物館へ

 党大会のためにナチスが郊外に築いた巨大な遺構を訪ねるアポイントは翌日だった。駅そばのホテルに荷物を預けると、城郭都市の趣が残る中心街へ向かう。目当てはゲルマン国立博物館。ホームページには「ドイツ語圏の文化史の博物館として最大」とある。

ゲルマン国立博物館の正面

 例えば「日本のナショナリズムを取材する」という外国のジャーナリストが、戦時中の遺構や史料館だけ回ったと聞けば、私は鼻白むだろう。ドイツのナショナリズムを取材する私自身がそうならないよう、広くドイツの歴史に触れておきたかった。

 車や路面電車が行き交うニュルンベルク中央駅前の通りに沿って堀があり、石橋を渡って城壁のトンネルをくぐる。歩いて数分で、モダンなゲルマン国立博物館に着く。ちょうど日曜で、年配者や小中学生ぐらいの団体客で賑わっていた。

 時系列の展示で最初に現れる古代は、日本の歴史博物館のようだった。土器、青銅器、高床式建物の模型、色とりどりの小石をつなぐネックレス……。

 だが、ゲルマン民族大移動の説明を経て中世へ移ると、聖母やキリストの磔刑(たっけい)の像と絵に代表される宗教色の強い展示に圧倒された。扉を押して進み、

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