第7部「ドナルド・シンゾウ―蜜月関係の実像」(1)
2020年06月06日
安倍晋三首相は2016年11月、大統領就任前のトランプ氏と外国首脳としては初めてニューヨークで会談して以来、ゴルフ外交を含めて頻繁に首脳会談を重ねてきた。しかし、1980年代から「日本は米国を利用し続けてきた」と考えるトランプ氏は日本に対しても追及の手を緩める様子はない。日米貿易交渉では対日貿易赤字の削減を迫り、米国製武器を購入するように求め、米国の失われた富を取り戻そうとする。アメリカ・ファーストを訴えるトランプ氏のもとで国際社会のリーダー役を放棄しつつある米国と、経済・軍事的に台頭著しい中国に挟まれる格好の日本。蜜月と言われる「ドナルド・シンゾウ」関係のもとでの日米関係の実像に迫る。
会場を埋め尽くす大観衆を前に、米大統領選の共和党候補、トランプ氏はいつものように饒舌だった。
2016年8月5日、アイオワ州デモインでの選挙集会。トランプ氏は北大西洋条約機構(NATO)を「時代遅れ」と批判し始めると、今度は「我々は日本、韓国、ドイツ、サウジアラビアやほかの国を守っているが、彼らはカネを払っていない」と声を張り上げ、さらには「日本叩き」へとボルテージを上げた。
「最近、軍の将軍の一人が私のところに来て、こう言ってきた。『トランプさんは知らないでしょうが、日本は米軍駐留経費負担の50%を支払っているのです』と。だから私はこう言い返してやった。『どうして彼らは100%を支払わないのだ?』と」
聴衆は喜び、歓声の声が上がる。
「ヒラリー・クリントンのような人間が交渉の席に着けば、『我々は決して同盟国を見捨てない』と言うだろう。その言葉は美しいと思う。しかし、我々はこう言わなければいけない。『我々は君たちを決して見捨てない。しかし、君たちは我々にもっとカネを払わなければいけない』と」
拍手喝采を受けながら、トランプ氏は言葉を続ける。
「日本は北朝鮮から自国を守るのは難しいだろう。我々が日本との間で条約を結んでいるが、もし日本が攻撃されれば、我々は米国のもてるすべての力を使わなければいけない。しかし、もし米国が攻撃されれば、日本は何もしなくて良いのだ。彼らは家にいてソニーのテレビを見ていれば良いのだ」(LesGrossman News. “Donald Trump & Mike Pence In Des Moines 8/5/16 FULL SPEECH.” 5 August 2016.)
聴衆から日本への不満の声が沸き上がった。
トランプ氏の対日観は、1987年に米紙ニューヨーク・タイムズなどに公開書簡を出したときから何ら変わっていなかった。トランプ氏は公開書簡の中でバブル経済で好景気にわき、米国から経済的な脅威とみられた日本を名指しで非難し、「米国が日本などの国々を同盟国として防衛しているわけだから、彼らにその費用を払わせろ」と主張していた(Ben-Meir, Ilan. “That Time Trump Spent Nearly $100,000 On An Ad Criticizing U.S. Foreign Policy In 1987.” BuzzFeed News 10 July 2015.)。
複数の日本政府関係者によれば、日本の官邸の首相執務室では11月の大統領選の投開票日前、安倍氏のもとで複数回にわたって選挙分析が行われ、クリントン氏、トランプ氏のどちらが勝利しても、安倍氏がその勝利者と就任前に会談するというシナリオが練られていたという。会談日程は、11月中旬のペルーで行われるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の機会を利用して米国を訪問することが検討された。
ただし、ここで問題が浮上する。クリントン氏との会談は何ら問題ないが、トランプ氏については選挙期間中、移民排斥や女性蔑視などの過激な言動を繰り返していたため、政権内では就任前の会談に慎重論があったという。トランプ氏と会談するかどうかの判断については安倍氏に一任され、最終的に安倍氏が「思い切りの良い判断」(日本政府関係者)をして、トランプ氏との会談を決めたという。
大統領選の大勢が判明すると、佐々江賢一郎・駐米大使(当時)がトランプ氏の娘婿のジャレッド・クシュナー氏(現大統領上級顧問)にすぐさま電話し、ニューヨークのトランプ・タワーにおける安倍、トランプ両氏の会談がセットされた。
安倍氏が政権内の慎重論を抑えてトランプ氏との会談に踏み切った決断の背景には、冒頭のトランプ氏のデモイン演説に見られるように、トランプ氏が選挙期間中に、在日米軍の駐留経費を日本が増やさなければ米軍撤退もありうる、などと過激な日本批判を繰り返していたことがあった。トランプ氏が30年近く前の古びた対日観をもったまま就任すれば、日米同盟を根底からひっくり返しかねないという怖さがあった。
安倍氏ら日本側としてはトランプ氏となるべく早く接触することで個人的に親密な関係を築き、現代の「強固な日米同盟」という概念を、政治の素人であるトランプ氏の頭の中にすり込もうという狙いがあったとみられる。
一方、トランプ氏にとっても、外国首脳がわざわざニューヨークの自宅まで来て会談するのは好都合だった。外国首脳の多くはトランプ氏との会談に二の足を踏み、トランプ・タワーの目の前でもトランプ氏の就任に反対するデモが起きていた。そんな中、同盟国・日本の首相が真っ先に会談を申し込んできたことに「トランプ陣営の人々は日本側の申し出に非常に感謝した」(日本政府関係者)という。
トランプ陣営側としては、安倍氏との会談によって、トランプ氏の大統領選当選の正当性を内外に示すことができ、同氏の権威づけにプラスに働くという思惑があったとみられる。
安倍氏は2016年11月17日、トランプ次期大統領と外国首脳としては初めて会談する。トランプ氏の趣味がゴルフであることからゴルフクラブを贈呈し、トランプ氏は返礼としてゴルフシャツなどのゴルフグッズを贈った。トランプ氏は安倍氏の訪問を大いに喜び、このニューヨーク会談をきっかけに安倍氏とトランプ氏の蜜月と言われる関係が始まった。
安倍、トランプ両氏の個人的な関係をめぐっては、安倍氏が一方的にトランプ氏にお世辞を言うのではなく、トランプ氏の方も安倍氏を気に入っているのは間違いないようだ。トランプ氏が安倍氏の名前に言及する際には、「マイ・フレンド」とつけ加えることが多い。
知日派の重鎮、リチャード・アーミテージ元国務副長官は、安倍氏のトランプ氏の扱い方について「だれよりも上手だ」と語り、「日本の友人」から聞いた話としてこんなエピソードを披露した(リチャード・アーミテージ氏へのインタビュー取材。2019年10月22日)。
「トランプ氏がかなりバカなことを言ったとき、安倍氏は静かに上品に(トランプ氏の間違いを)訂正するそうだ。例えば、トランプ氏が『日本はもっと(米軍駐留経費負担を)支払わなければいけない。そうしなければ、我々は横須賀から米艦船を撤収させるかもしれない』と言ったとき、安倍氏は『それは米国の判断です。しかし、サンディエゴに米艦船を駐留させれば、その経費は横須賀に駐留させるよりも4倍は必要になりますよ』というふうに。安倍氏はトランプ氏に挑戦的なものの言い方はせずに、トランプ氏の言うデータが正しいかどうかを確認させるという方法をとっているそうだ」
安倍氏はトランプ氏の自尊心が極めて強いことを意識しており、首脳外交の場ではトランプ氏のメンツをつぶして怒らせないようにと細心の注意を払った言葉遣いをしていることがわかる。
しかし、トランプ大統領は安倍首相とニューヨークで会談した後も、「米国は同盟国に利用されてきた」という「米国犠牲論」の考えを変えることはなかった。就任直後、環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱を表明し、日本政府内にあった「トランプ氏は就任すればTPP離脱を再考するのでは」という淡い期待を打ち砕いた。7月にペンタゴンで行われたブリーフの席上では、居並ぶ政権幹部を前に「日本、ドイツ、韓国……。米国の同盟国はこのテーブルにいるだれよりもコストがかかる!」と強調した。
米国は「裕福な国」である同盟国に対してもっとお金を支払うように要求しなければいけない――。トランプ氏の長年の持論が、大統領に就任したことでいよいよ実行に移されることになったわけである。
トランプ氏は最初のターゲットを韓国に定め、米韓自由貿易協定(FTA)を「ひどい取引だ」と破棄をちらつかせて再交渉に持ち込んで新たなFTAについて大筋合意すると、日本に対しても本腰を入れて二国間貿易協定を結ぶように迫り始めた。トランプ政権は2018年5月、米通商拡大法232条に基づく輸入自動車への高関税措置の検討を表明して日本政府を揺さぶり、両政府は同年9月に貿易協定の交渉入りで合意した。
トランプ氏が日韓や欧州諸国の同盟国に対して強気の姿勢で貿易赤字削減を迫るのは、同盟国には米国のもつ安全保障のレバレッジ(テコの原理)が効いているという力関係をよく理解しているからとみられる。同盟国は米国の軍事力に依存しているため、米国との間で貿易紛争が起きた場合でも、構造的には米国よりも弱い立場にあるのだ。
日米間の貿易問題が本格化してくると、安倍氏のトランプ氏に対するお世辞が表舞台でも目立ち始める。
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