「権力による、権力のための改憲」を招く、その構造とは
2020年05月25日
憲法改正の手続きをさだめる国民投票法の改正案に対して、ツイッター上で「#国民投票法改正案に抗議します」というハッシュタグが急速に拡散し、一時、トレンドの1位になった。自民・公明両党が、今国会での成立をめざす方針を確認したことが伝えられたためだ。
私はつい最近まで、主に改憲手続きを担当する編集委員(平たくいえばシニアの記者)を務め、いまもこの問題をフォローしている。報道各社をみわたしても、これを専門とする記者はほとんどいないはずだ。だから、さんざん考えた結果を言っておかなければならないと思い、筆をとっている。
どう考えても、この改憲手続きは問題がありすぎる。しばしばテレビCMの問題がとりあげられるけれど、決してそれだけじゃない。
このルールのもとで改憲を進めれば、よほど慎み深い政権与党でない限り、「権力による、権力のための改憲」になるおそれが大だ。安倍政権に、その慎みを期待できるだろうか。
どういうことか。説明していこう。
日本の改憲ルールの本質的問題に進む前に、与党が成立を急いでいる改正案に触れておきたい。
これは、ショッピングセンターなどに共通投票所を設けられるようにすることをはじめ、有権者が投票しやすくするための改正案だ。選挙ではすでにできるようになっており、これじたいはどうってことのない内容だ。野党も異論は唱えていない。
けれど、「不要」ではなくても、絵に描いたような「不急」の改正なのだ。国民投票の実施が決まってから改正しても、何の問題もない。それなのに与党側は、本質的な問題に手をつけないまま、ここだけ取り出して改正を急いでいる。もしも「この改正で改憲手続きは整った」とみなし、改憲へと見切り発車するなら、ろくでもないことになる。
しかも、いまこの時期である。
コロナ対策に全力を傾注するべきなのに、国民を守るための対策があれもこれも手遅れになっているのに、ドサクサにまぎれて何をやろうとしているのか――。そんな憤りを招くのは当然のこと。民意を置き去りにする政治の姿勢が問われているのである。
日本の改憲ルールが抱える本質的な問題も、それに通ずる。民意が置き去りにされかねないのである。
改憲ルールの骨格は憲法96条にさだめられ、国民投票法や国会法で肉付けされている。
96条によれば、(1)国会が改憲案をまとめ、国民に提案する(=改憲を発議する)、(2)国民投票で国民が承認する――という2段階の手続きを経ることになっている。(1)では衆参両院でそれぞれ3分の2以上の賛成、(2)では過半数の賛成が必要とされている。
これは国会議員が国民の代表としてふるまうことを前提とした手続きといえる。国民投票では、国会がまとめた改憲案に賛成か反対か、どちらかにマルをつけることしかできない。それでも、国民代表がまとめた案を国民が承認するなら、「国民が憲法を改正した」とみなすことができる。「憲法とは、主権者である国民が権力を縛るもの」という近代憲法の理念に沿ったものになる。
ただし、国会議員は国民の代表のほかに、もうひとつの顔をもっている。憲法によって縛られる、権力者としての顔である。
中でも与党は政権を支え、安倍政権下ではこれまで、与党議員が政権に異議を唱えることもめったになかった。与党議員が政権と一心同体の権力者としてふるまい、その立場から改憲を進めるとすれば、「憲法に縛られる権力自身が、国民に対して『私たちをこう縛ってください』と提案する」という奇妙な構図になる。
いまの改憲の動きは安倍晋三首相自身が旗を振っていることからみても、ズバリこの構図にあてはまるのではないか。
果たして権力は、自分自身をきつく縛ろうとするだろうか。
実際に、自民党内でとりざたされる案をみれば、答えはすぐにわかる。彼らが考える改憲案の多くは、いまの憲法の縛りを緩めよというものだ。
自民党がまとめた「改憲4項目」の中でも、9条と緊急事態条項はその典型だろう。
自民党の9条改憲案は、自衛隊という名前を記すだけではない。「必要な自衛の措置をとることを妨げず」と記し、その措置を限定する条文もないこの案は、自衛隊の行動の制約をとりはらい、自由に動かせるようにするものにほかならない。
緊急事態条項は、大規模災害時には内閣が出す政令によって、国民の権利を制限できるようにするものだ。国会による立法の必要がないから、政府は自在にふるまえる。
さらにいえば、安倍首相が当初、照準をさだめた96条改憲も同様だ。国会が改憲案を決める際、衆参両院で「3分の2」以上の賛成が必要とされているのを「2分の1」に引き下げる。すなわちもっと自由に改憲させよという話である。
つまるところ、首相や自民党の面々が求めているのは、「思うがままに権力をふるいたい!」「我々にもっと自由を!」ということではないか。国民の自由ではなく、権力の自由のための改憲なのである。
それでは、国民が権力を縛るための改憲は、96条のもとでは不可能なのだろうか。
そんなことはない。96条にさだめられた骨格をどう肉付けするか、問題はそこである。
私は、次のふたつが必要だと考えている。
まず、改憲が必要か否か、必要とすればどこをどう改めるのか、国民の意思を慎重に見極めること。さらに改憲を発議する場合には、与党だけでなく国会の大多数の賛成を得ることだ。
私は以前、アイスランドの改憲について取材したことがある。そこでおこなわれたのは、日本の改憲論議とはまったく異なる、国民主導のものだった。
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