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ルーツ探しで見つけた答えは「自分を表すものは“ひとつ”でなくていい」

世界で活躍するジャグラー・ちゃんへん.さんの「国籍とは何か」を巡る葛藤の軌跡

安田菜津紀 フォトジャーナリスト

「強さを見せたかったらルールのある世界で闘え」

 ある時、校舎の4階から、ちゃんへん.さんめがけて石がぎっしり詰まったバケツを6年生が落としてきたことがあった。間一髪直撃は免れたものの、偶然目撃した先生から校長先生に伝わり、6年生たちと一緒に校長室に呼ばれた。

 校長先生は6年生たちに向かって、「朝鮮人をいじめるな」と諭そうとした。そんな“善意の言葉“が、ちゃんへん.さんを深く傷つけることになる。「あの一言で、自分は周りの人とは全く同じ立場ではないということを突き付けられたようでした」

 “人と違う”と“一緒じゃない”は、ちゃんへん.さんの中で大きく異なるのだという。「何ひとつ共有できるものがないんだ、根本的に自分は違う存在なんだ、もっといえば“人間じゃないんだ”ってその時、思わされたんです」

 そこに、学校から知らせを受けた母の昌枝さんが駆けつけた。昌枝さんはいじめた6年生たちではなく、校長先生に向かってこう言い放った。

 「何でいじめがなくならへんのか知ってんやけど、教えたろか。あんなおもろいもんがなくなるわけないやろ」。反論しようとする校長先生をよそに、昌枝さんは続けた。「この学校には子どもたちにとって、いじめよりおもろいもんがないからや。お前、学校のトップやったら、いじめよりおもろいもん教えたれ」

 その言葉はちゃんへん.さん自身にも、そしていじめていた6年生たちにも刺さったようだ。昌枝さんは6年生たちに向かってこうも語った。「強さを見せたかったら、ルールのある世界で闘え。ルールのない世界で闘っても、それはただの弱い者いじめや」。いじめのリーダー格だった6年生のひとりは、それをきっかけに空手を習い始めたそうだ。

ハイパーヨーヨーで一目置かれる存在に

 大きな転機が訪れたのは、中学生の時だった。

拡大ちゃんへん.さん
 雑誌の懸賞でハイパーヨーヨーが当たり、その後ブームが到来。たまたま人より早く始めていたこともあり、クラスの中でも一目置かれるほど上手くなっていた。それまで自分を無視し続けていた同級生たちが、「それどうやるの?」と話しかけてくるようになった。

 その後も周りに負けまいとひたすら練習を重ね、地域で断トツの腕前になった。「努力する楽しさをこの時に学んだと思います。技ができると嬉しいし、自分が成長していると実感できる」

 大会に出て目覚ましい成績をおさめていく一方で、どこか心にひっかかりもあった。「大会で優勝しても、人が決めた“100点”をとっているだけ。決められた技の決められた点数で測られる。そんな“100点”をとるより、自分が決めたベストを出す方が楽しいんじゃないか」。そう考えるようになっていた。

 数年ぶりに母親と買い物に出たときのことだった。時間を持て余し、ふらりと立ち寄ったジャグリング・ショップで、米国の伝説的ジャグラー、アンソニー・ガットの映像を目にし、圧倒された。見たことのない技を鮮やかに繰り広げ、自分の限界に近づく努力を重ねる姿に、憧れるようになった。

 この出会いが、パフォーマーを志していくきっかけとなる。ただ、世界規模の大会で活躍するために、どうしても立ちはだかるものがあった。「国籍」という壁だった。

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筆者

安田菜津紀

安田菜津紀(やすだ・なつき) フォトジャーナリスト

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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