田中秀明(たなか・ひであき) 明治大学公共政策大学院教授
東京工業大学大学院及びロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院修了、博士(政策研究大学院大学)。専門は公共政策・財政学・社会保障。1985年旧大蔵省入省後、旧厚生省、外務省、内閣官房、オーストラリア国立大学、一橋大学などを経て、2012年より現職。主な著書に、『官僚たちの冬』(2019年、小学館新書)、『財政と民主主義』(共著、2017年、日本経済新聞出版社)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
政治の綻びに映る「コンテスタビリティ」の重要性
平成の30年間は、バブル経済の絶頂とその崩壊から始まり、その後、失われた10年、20年と呼ばれるほど、経済が低迷した。経済だけではなく、政治家の汚職事件、非自民党政権の誕生とその後の頻繁な短命内閣など、政治は揺れ動いた。また、旧大蔵省の証券不祥事や接待汚職など、官僚の不祥事やスキャンダルも多発した。
こうしたなかで、選挙制度改革と中央省庁等改革などの改革が始まったが、そのキーワードは「政治主導」であった。戦後の高度成長の立役者として評価された日本の官僚たちは、バブル崩壊とともに、その評価は反転し批判の対象になった。
政治主導の改革を実践したのが小泉純一郎政権(2001~06年)であり、更にそれを強化したのが2012年に誕生した第2次安倍晋三政権である。
2014年には、内閣人事局の設置などを含む国家公務員法が改正され、平成の政治・行政改革は完結したと言えるだろう。これらの改革は、バブル経済崩壊後の日本経済の低迷を受けて、政治や行政システムの機能不全を背景に行われたものであり、必要なものであったが、期待したとおりの成果を上げているのだろうか。
発足以来7年半が経過した第2次安倍政権の安定性は政治主導の成果とも言えるが、他方で政策の立案や執行において綻びが目立ち始めている。政治主導は手段であり、政府や政策のパフォーマンスが改善されなければ意味がない。本稿では、政治主導の結果を振り返るとともに、残された課題について議論したい。
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