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今必要なものは、脆い世界に立ち向かうための熟議デモクラシーだ

パンデミック下の「公共善」と「市民的連帯」

フェルナンド・バリェスピン スペイン・マドリード自治大学(UAM)法学部教授

 冷戦期、英語で「相互確証破壊」を意味するMADという略語が一般化したが、この語は同じく英語で「狂っている」という意味にもなる。文字通り、資源を核兵器に浪費することは、考えうる限り最大の悪夢であった。

 核兵器の脅威はうまく機能した。もし人々が「何が良いことなのか」について合意できないならば、合意できるのは「より大きな悪を回避すること」なのだから、相手の攻撃に備え、相手を滅ぼしうるだけの核戦力を持つという戦略は有効だった。イギリスの哲学者ホッブスが言う自然状態におけるように、我々がみな等しく脆弱であるということは常に相互に確証されている(これは本質的条件である)。ホッブスが言ったように、共有された恐怖は我々に先見の明を与え、我々を協力させるための力となる。

拡大ロックダウンで人影の消えたマドリード中心街=3月30日  Sanson carrasco / Shutterstock.com

デマゴギーと偏見の「ポスト真実」の政治か、市民的徳性か

 我々は現在、気候変動の脅威によって冷戦期と似た状況に置かれ、今Covid-19のパンデミックによって、その状況はさらに完全になったようだ。我々は突然、人類全てに共通する脆弱性と、地球自体の存続あるいは数十億人の健康がかかっているという例外状況に気づいた。

 しかし結局どの大陸も、どの国家も、どの社会階層もこの危険性の例外にはならないし、何者もこの脅威から逃れられない。我々は同じ船に乗っているのだ。我々がこの状況の中、グローバル社会の中で生きるという挑戦に対し、目を見開かせるような結論を導けるかどうかはわからない。私は、ホッブス的恐怖と合理性との融合が妥当性を得ることを心から願う。それは気候変動に関しても、ウイルスの拡大に関しても同様である。

 我々は、双方の問題に対してとるべき手段はどのようなものがあるか、まだ知らないかもしれない。しかし少なくとも以前と比べ、正しい解決策をとることを妨げてきた自らの誤り・失敗を自覚するようになった。はじめに――おそらくこれが本質的な点だが――、先進社会において科学と知識が持つ価値から考えてみよう。それは考察に値する唯一の基準だが、党派的な目的に基づく、専門家の権威を貶める行為によって損なわれてきた。

 このことは、ポスト真実の政治にも影響を与え、政治の中核を傷つけてしまう。そこでは情念と偏見が理性よりも優先され、デマゴギーや誤ったニュースが統制されずに拡散し、共通の世界認識から出発する公的議論は行われない。なぜなら、事実は各自の好みに合わせ紹介され、解釈されるからである。今我々に欠けているものは、信頼できるメディアの情報の正確さ、そしてデマゴギーが幅を利かせるままにせず、多様な意見が対峙する公共の場である。すなわち今必要なものは、劇場政治(teatrocracia)ではなく熟議デモクラシーなのである。

 また我々は突然、市民的徳性の素晴らしさにも気づいた。我々はそれがなくては待ち受ける問題に対処できない。物事が悪い方向に進み、全員の協力が求められているとき、我々は市民性(civismo)の重要性を思い出す。市民性は不可侵のものであり、それがなくては最低限足並みをそろえた集合的行動も想像できない。

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筆者

フェルナンド・バリェスピン

フェルナンド・バリェスピン(Fernando Vallespín) スペイン・マドリード自治大学(UAM)法学部教授

専門は政治理論・政治思想。主要著作に『政治の将来(El futuro de la política)』(2000年、未訳)などがある他、首相府付属の社会学研究所(CIS)所長(2004-08年)、スペイン政治行政学会(AECPA)会長(2013-15年)などを務めた。またスペイン最大の発行部数を持つ日刊紙「エル・パイス(El País)」に定期的に寄稿するなど、論壇においても活発に発信を続けている。現代スペインを代表する政治学者・知識人の一人。