【3】ナショナリズム ドイツとは何か/ニュルンベルク② プロパガンダの跡
2020年06月04日
ドイツ・ニュルンベルク郊外にあるドッツェンタイヒ湖を抱く、2キロ四方はある広大な市民公園。そこに、近代国家としての自画像を模索するドイツのナショナリズムを徹底的に動員した、ナチスの最大の遺構がある。
1930年代に独裁政権を握ったナチスが毎年党大会を開き、ヒトラーが10数万の群衆を前に演説をしたツェペリン・フィールド。そしてドイツ史上三番目の「第三帝国」の象徴として途中まで築かれた「議事堂」だ。
2月10日午前、ドイツ全土を襲った前日からの嵐の影響で路面電車が止まり、私はタクシーで公園へ向かった。巨大な石造りの「議事堂」でワーナー・フィーデラーさん(61)と落ち合う。中世の「第一帝国」神聖ローマ帝国の時代から栄えたニュルンベルクで、その歴史をガイドするNPO「みんなの歴史」のメンバーであり、ナチスの遺構に詳しいベテランだ。
「ニュルンベルクはヒトラーのプロパガンダ(宣伝動員)にとって完璧な都市だった」。青いカッパを着こなしたフィーデラーさんはファイルブックを開き、1937年のナチス党大会のポスターを示した。城郭都市ニュルンベルクの上に、ナチスのシンボルのカギ十字と、そこに止まる鷲が描かれている。
「ドイツでは鷲は権力の象徴なんだ。ヒトラーは過去の皇帝の後継者として見られようと、第一帝国の議会が開かれたニュルンベルクで党大会を開き、第三帝国と結びつけようとした」。示されたニュルンベルク周辺の航空写真は、党大会のためにナチスが様々な施設を造ろうとした11平方キロの敷地が矢印のような形を帯び、ニュルンベルク市街を指していた。
プロパガンダといえばメディアを悪用するイメージだった私は、巨大なテーマパークの空撮を見る思いで、いきなり啞然とした。「じゃあ行こう」と声をかけられ、「議事堂」の内側へ向かった。
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