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パスポートを返せ《前編》 外務省は理由をでっちあげ、海外取材を妨害した

国内に閉じ込められ、職を奪われた戦場記者の警鐘「すべての日本人に起こりうる」

常岡浩介 ジャーナリスト

ADragan/shutterstock

パスポート取り上げは、職を奪われるに等しい

 愚かしい裁判に付き合わされて、もう1年になる。付き合わされているといっても、訴えたのは私で、相手は日本国だ。政府に不当に取り上げられたパスポートを取り戻すための裁判を続けている。

 私は、テレビ局の報道記者を経て22年前にフリージャーナリストに転じてから、一貫して海外の戦争や紛争地の取材を職業としてきた。パスポートを奪われることは、職業を奪われたということなのだ。

 現在、日々のニュースは新型コロナウイルスの話題が圧倒的だ。世界各地で人道危機が続いているのに、情報が不足している。特に、中東のイエメンは内戦で2000万人が飢餓の危機に直面し、国連が「世界最悪の人道危機」と位置づける。今すぐ訪ねて取材し、現実を日本や世界に伝えたい。それなのに、出国すらできなくされている。この間にも危機は進み、どれだけの子どもが餓死しているだろう。

 パスポートを取り上げられたのは、このイエメンへ取材に向かう時だった。深夜の空港で突然の強制執行。それも、関係のない理由をでっち上げられ、手続きも異常な手法の連続だった。国際社会のルールを踏み外しており、世界の報道関係団体や人道援助機関が驚き、日本政府に批判の声明を出した。

 このたびの私のように、理不尽な理由で旅券を持てず出国できない事態が、他のジャーナリストや一般の国民の身にも起きている。国家が、旅券法の趣旨を逸脱し、基本的人権や報道の自由を侵害する憲法違反の行為を続けている実態について、2回にわけてお伝えしたい。

イエメンのサナア旧市街で、サウジアラビアによる空爆で瓦解した民家と、近くに住むという少年たち。付近の給水塔を軍事施設と勘違いして攻撃されたと市民は証言した。住人は死亡したという=礒部真悠子氏撮影

イエメン取材の経由地オマーン「入国は問題ない」

 昨年(2019年)の2月2日、私は羽田空港で、日本政府からパスポート返納を命じられた。その前段として、前月に中東オマーンで体験した不可解な出来事から説明したい。この時も、私はイエメンへの渡航を試みて果たせなかったのだ。

 イエメン行きは、人道問題の取材が目的で、戦場に入るためではない。空爆や地上戦で物流が寸断され、医療体制も崩壊した現地での、市民の状況と支援の様子を報告したかった。国連機関や医療援助の国際NGOの活動で、日本人職員も駐在して汗を流している。だが、日本の記者が現場に入って直接取材した例は少ない。

 私は、イエメンの正規ビザを取得し、現地の複数の支援団体に取材の約束も取り付けていた。そして、隣国オマーンから陸路でイエメンに入る計画を立て、交通手段や通訳も確保し、オマーンのビザも取得した。オマーンの入国管理の担当職員に人脈を作り、「入国は問題ない」との情報を得ていた。

イエメン北部の難民キャンプで水を汲む少女。内戦でインフラの破壊が激しく、政府の給水はない。この水も全て自費で購入しているという。「物乞いで小銭をかき集め、ようやく水が飲める」と住民たちは訴えた=ダルワーン国内避難民キャンプで、礒部真悠子氏撮影

オマーンの空港で入国拒否、日本の働きかけか

イエメン取材の第1回目の計画で、経由地のオマーン・マスカット空港で入国を拒否され、出発ホールに閉じこめられた筆者=2019年1月
 1月14日。予定通り、オマーンの首都マスカットの空港に着いたが、入国を拒否された。入管関係者に調べてもらうと、データベースの入国拒否リストに私が新たに加えられたという。

 「入管の判断ではない。警察の権限による入国拒否で、不自然だ。日本大使館がオマーン警察に働きかけたようだ」と聞かされた。

筆者がオマーンから日本へ送還される時に乗せられた航空会社に、オマーン当局から渡された書類。「BLACK LISTED IN OMAN」などと記されている
 2日間、空港で足止めされ、空路で日本に送還された。説明はなく、書類も渡されていない。ただ、航空会社の職員から「なぜ、日本大使館の人が来ているのか」と問われ、大使館員が様子を見にきていることを知った。

 のちに裁判で外務省は、在オマーン日本大使館の職員を空港に派遣していたことを認めた。しかし、邦人保護の義務を負うはずの大使館は私の健康状態や境遇を確認すらせず、遠巻きに見るだけで引き揚げていた。

 私は計画を練り直し、カタールからスーダン経由で、空路イエメンに入ることにした。

Lightspring/shutterstock

再び計画も、羽田で出国できず

 そして、問題の2月2日、土曜日の夜を迎えた。

 羽田空港で、カタールのドーハ行きの便に乗ろうと、出国審査場の自動化ゲートを通ろうとした。機械にパスポートをかざすと、「この旅券は登録されていません」と、モニターに赤い文字が表示されてゲートが開かず、私は通過を阻止された。半月前のオマーン行きの時は問題なく通れていた。

 窓口の入管職員に相談すると、「この旅券は無効になっています。旅券返納命令が出されています」と説明された。私はここで初めて、おかしなことになっていることに気づいた。

法的根拠なくデータ消去させた外務省

2019年2月に外務省に強制的に返納させられた筆者の旅券
 私が外務省から実際に旅券返納命令書を出され、強制執行されたのは、この後だ。つまり、外務省は、私に旅券返納を命ずる前に、法的根拠もなく、入管に私の自動化ゲートの登録データを消させて、移動を妨害したということになる。国にそんな権限はない。これだけでも衝撃的な違法行為だが、まだ序の口だった。

 出国審査場では、入管職員が外務省に連絡を取り、外務省の担当者とつながった電話を渡された。電話を通して、「あなたには旅券返納命令が出ている。命令に従いますか」と言われ、「拒否します」と答えた。私の認識では、違法で無効な旅券返納命令だからだ。

 以下、問題点を列挙していく。

わずか5分で強制執行。手書きの命令・大臣印もなし

 空港ではその後、外務省からファクスで「一般旅券返納命令書」が届き、これを入管職員から手渡された。紙の上部に印刷されているデータは「2019年2月2日23時15分 外務省オペレーションルーム2」。一方、本文には、「返納期限」欄に「2月2日午後11時20分」と記され、期限内に返納しないと「効力を失う」「罰せられることがある」とある。

 つまり、予告なく深夜に送りつけ、「5分以内に返納しろ」といっている。

 これはむちゃくちゃだろう。文書の文字は、私の氏名や旅券番号まで、大半がワープロ文字で入力されているが、発行日と返納期限の日時の数字だけは、全て手書きだ。外務大臣の名前も印もない。外務省は、日時だけブランクにした文書を用意して待ち構え、急いで手で書き入れて送ってきたと考えられる。

筆者が羽田空港の出国審査場で通過を阻まれた直後に、外務省がファクスで送ってきた「一般旅券返納命令書」。発行の月日の数字が手書きで、外務大臣の氏名が記入されておらず、大臣の印もない
「一般旅券返納命令書」の2枚目。ヘッダーに印字された受信時刻は「23時15分」、本文の「返納期限」は「午後11時20分」で、本人への通知から強制執行まで5分間しかない。月日と時刻の数字は手書きだ

法が定める事前手続きを無視

 また、旅券法に定められた事前の聴聞手続きはなく、説明も弁明の機会もなかった。そして、わずか5分後に強制執行された。

 最大の問題は、外務省が返納を求めた理由にある。

 命令書には「貴殿は平成31年1月、オマーンにおいて入国を拒否され、同国に施行されている法規により入国を拒否されているため、旅券法第13条第1項第1号に該当する者となった」ためだと記されている。第13条第1項第1号は「渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者」と定める。

理由をでっちあげ

 これは、明らかに事実に反する。前述の通り、仕切り直した2月の渡航に、オマーンは全く無関係だ。「オマーンの入国拒否」を理由にするのは、でっちあげ以外の何物でも無い。

 そもそも、1月の「オマーンでの入国拒否」自体が不自然で、日本政府の関与が濃厚だ。オマーン政府は事前に私にビザを出しており、「オマーンの法規により入国を禁止された」という事実はないと私は考える。

 外務省は、通常通り、私に事前に説明や協議をするべきだった。そうすれば、オマーンに行く予定がないことを簡単に証明できて、国は的外れな命令を出さずにすんだ。それでも返納命令を出すといわれたなら、私は違法性を争うにせよ、まずは現地で協力を約束してくださった人たちと調整ができたし、航空券の払い戻しもできた。

 結局、現地で人道支援に携わる多くの方々に甚大なご迷惑をかけ、報道への期待を裏切ることになってしまった。

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