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古都がいま示すナチズムへの覚悟 遺構に「党大会記録センター」

【5】ナショナリズム ドイツとは何か/ニュルンベルク④ プロパガンダの跡

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

拡大ナチス党大会記録センターに勤めるマルチナ・クリストマイヤー博士=2月、ドイツ・ニュルンベルク。藤田撮影(以下同じ)

 1930年代にナチスの党大会が毎年開かれたドイツ・ニュルンベルク郊外の市民公園。2月10日に取材に訪れた私は、ヒトラーの神格化を図った遺構をめぐった後、ナチス党大会記録センターを訪れた。ナチス最大の遺構、「議事堂」を活用した施設だ。

拡大ナチスの遺構を活用したナチス党大会記録センター

 第2次世界大戦で未完となり戦後も放置された「議事堂」の一部を改築し、2001年にできた。党大会に象徴されるプロパガンダ(宣伝動員)で、ナチスがドイツの戦前の民主主義をいかに麻痺させていったかを学ぶ場となっている。

 広いロビーを見渡すと、「議事堂」の内壁のれんが造りと、受付や通路を形づくる鉄筋が混ざり合った構造になっている。奥のカフェで、このセンターに発足当初から勤めるマルチナ・クリストマイヤー博士(46)に話を聞いた。

拡大ナチスの遺構を活用したナチス党大会記録センターのロビー

冷戦後「私たちの役割」議論

 センターの展示に携わり忙しいクリストマイヤーさんは、「お待たせしました!」と早足でロビーに現れた。さっそくセンター設立の経緯から聞くと、まさにドイツ現代史の写し絵だった。

 「戦後、冷戦でドイツは東西に分断され、このニュルンベルクがある西側では1970年代から、新しい世代が父母の世代に疑問を投げかけるようになりました。ナチスの一党独裁を生んだ父母の世代のドイツ社会とは何だったのかと」

 「ところが東側では一党独裁が共産主義の下で続きました。冷戦が終わって1990年に統合されたドイツで、ナチズムと共産主義の二つの独裁の歴史とどう向き合うかが問われた。ニュルンベルクの私たちが果たせる役割は何かも議論されました」

拡大1937年のナチス党大会ポスター。ニュルンベルク市街の上にナチスのカギ十字と、権力の象徴の鷲が座している=ナチス党大会記録センターの展示より

 古都ニュルンベルクの起源としてその名が古文書に最初に現れるのは、神聖ローマ帝国当時に栄えた11世紀半ばだ。そこから950周年を迎えた今世紀初めにかけての議論を経て、市は方針を打ち出した。

 それは、ニュルンベルクの歴史資産を、継承者としての「第三帝国」を語るナチスによって蕩尽(とうじん)されたことも含め、後世に伝えるというものだった。「それで、ナチスが欧州最大のプロバガンダショーを開いたここに、市はこのセンターを造ったんです」

 言ってみれば、このセンターは、ニュルンベルクがドイツの歴史的教訓としてナチズムと向き合おうと覚悟した場所なのだ。クリストマイヤーさんが紹介したその展示、「魅惑と恐怖」の数例を、カフェでのコーヒー後、私も見ることができた。

拡大ナチス党大会記録センターの展示ホール

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筆者

藤田直央

藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)

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