【5】ナショナリズム ドイツとは何か/ニュルンベルク④ プロパガンダの跡
2020年06月17日
1930年代にナチスの党大会が毎年開かれたドイツ・ニュルンベルク郊外の市民公園。2月10日に取材に訪れた私は、ヒトラーの神格化を図った遺構をめぐった後、ナチス党大会記録センターを訪れた。ナチス最大の遺構、「議事堂」を活用した施設だ。
第2次世界大戦で未完となり戦後も放置された「議事堂」の一部を改築し、2001年にできた。党大会に象徴されるプロパガンダ(宣伝動員)で、ナチスがドイツの戦前の民主主義をいかに麻痺させていったかを学ぶ場となっている。
広いロビーを見渡すと、「議事堂」の内壁のれんが造りと、受付や通路を形づくる鉄筋が混ざり合った構造になっている。奥のカフェで、このセンターに発足当初から勤めるマルチナ・クリストマイヤー博士(46)に話を聞いた。
センターの展示に携わり忙しいクリストマイヤーさんは、「お待たせしました!」と早足でロビーに現れた。さっそくセンター設立の経緯から聞くと、まさにドイツ現代史の写し絵だった。
「戦後、冷戦でドイツは東西に分断され、このニュルンベルクがある西側では1970年代から、新しい世代が父母の世代に疑問を投げかけるようになりました。ナチスの一党独裁を生んだ父母の世代のドイツ社会とは何だったのかと」
「ところが東側では一党独裁が共産主義の下で続きました。冷戦が終わって1990年に統合されたドイツで、ナチズムと共産主義の二つの独裁の歴史とどう向き合うかが問われた。ニュルンベルクの私たちが果たせる役割は何かも議論されました」
古都ニュルンベルクの起源としてその名が古文書に最初に現れるのは、神聖ローマ帝国当時に栄えた11世紀半ばだ。そこから950周年を迎えた今世紀初めにかけての議論を経て、市は方針を打ち出した。
それは、ニュルンベルクの歴史資産を、継承者としての「第三帝国」を語るナチスによって蕩尽(とうじん)されたことも含め、後世に伝えるというものだった。「それで、ナチスが欧州最大のプロバガンダショーを開いたここに、市はこのセンターを造ったんです」
言ってみれば、このセンターは、ニュルンベルクがドイツの歴史的教訓としてナチズムと向き合おうと覚悟した場所なのだ。クリストマイヤーさんが紹介したその展示、「魅惑と恐怖」の数例を、カフェでのコーヒー後、私も見ることができた。
第1次大戦の敗北で帝政が終わったドイツに、初の民主的な憲法に基づくワイマール共和国が生まれた。その民主主義の中で独裁政権を握ったナチスが、プロパガンダでヒトラーをいかに神格化していったかが、そこでは語られる。
様々な写真や肖像画、彫刻による偶像化の中でもひときわ目立つのが、ニュルンベルクでの1934年のナチス党大会を描いた映画「意志の勝利」だ。
ヒトラーがタイトルをつけ、女性監督のレニ・リーフェンシュタールに作成を依頼し、戦前はドイツの学校で生徒たちに見せられ、戦後はドイツを占領した連合国軍が上演を禁じたその一部があえて流される。
ナチスの各団体のパレードに沸くニュルンベルクの人々の様子も紹介される。インタビュー映像では、党大会のころ10代だった女性が当時を振り返っていた。
「総統(ヒトラー)を何回見られるかと、友達と競争しました。宿舎の外から『親愛なる総統、窓からお姿を』と呼びかけたら出てきて、ほほえんで手を振ってくれました」
「ニュルンベルク法」についての説明も深い。ユダヤ人を2級市民とし、
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