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戦後75年。沖縄戦を知らない若者に歴史をどう引き継ぐか(下)

語り以外の方法で沖縄戦のリアリティーを担保する方法が必要に

山本章子 琉球大学准教授

戦場跡地に立った学生が感じた恐怖

 映画『ハクソー・リッジ』を観た学生が、実際に戦場の跡地に立ったときに感じたのは、恐怖だったという。映画は当然ながら、米軍側の視点で描かれている。しかし、崖を見下ろしながら左に牧港湾、正面に嘉数高台公園をくっきり見ることができる風景は、当時の日本軍がここから目にしたものを、学生に想像させたのだ。

 海と空と地上から撃ち込まれる、何千発もの砲弾。崖を登ってきた米軍の機関銃掃射。身をひそめる洞窟への火炎放射……。

 崖の上には、住民が避難していたディーグガマ(壕)もある。浦添住民は、沖縄島北部への疎開が許されず、前田高地の日本軍陣地の構築作業や、弾薬の運搬に動員された。前田高地が戦場となると、動員された住民が避難した壕にも、米軍は手榴弾や火炎放射器で攻撃を加えた。映画には描かれていないが、戦闘に巻き込まれた浦添住民4679人が殺されている。これは、当時の浦添村の人口の41.2%にあたる。

首里から摩文仁へ~県民の4人に1人が亡くなった理由

 沖縄戦は、県民の4人に1人が亡くなった戦争だ。沖縄で育つ子供たちは義務教育の間、平和学習を通じてこの事実をしかと教えられる。しかし、なぜ沖縄出身の日本軍兵士・軍属2万8228人、現地徴用された戦闘参加者5万5246人、一般住民3万8754人、合わせて12万人超もの沖縄県民が亡くなるに至ったのか、若者にはピンとこない。

 実は、沖縄県民の戦没者数を月別に見ると、全体の約4割にあたる4万6833人が1945年6月に亡くなっている。ついで多い5月でも2万4636人。6月の死者数は突出している。

 他方、日本軍の戦没者数を月別に見ると、全体の7割弱にあたる6万4000人が、5月から始まる首里の第一・第二防衛線の戦いで死んでいる。沖縄県民と日本軍の死者数のピークに、ずれがあるのはなぜか。それは、首里一帯の戦いを通じて、沖縄戦で日本軍が勝てる見込みはないことを悟った、日本軍の司令官と参謀たちが、南部に後退して戦闘を長引かせる作戦をとったからだ。

 5月22日から、首里を守ると見せかけて、

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筆者

山本章子

山本章子(やまもと・あきこ) 琉球大学准教授

1979年北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2020年4月から現職。著書に『米国と日米安保条約改定ー沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)、『米国アウトサイダー大統領ー世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2017年)、『日米地位協定ー在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書、2019年)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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