ひとつの方向に誘導しようとする官僚の手法を改めなければ政府の会議は有害無用になる
2020年06月04日
平成の初め、1993(平成5)年に発足した非自民連立の細川護熙内閣で、私は「総理大臣特別補佐」という立場を与えられた。戦後長く続いた「55年体制」を終わらせた歴史的な内閣だけに、さまざまな新たな取り組みがあったが、総理大臣特別補佐もそのひとつ。法律の裏付けのない役職だったので、まともな部屋も手当もなかった。
細川元首相は熊本藩主の家系であり、今年の大河ドラマの主人公である明智光秀の血も引いている。歴史における細川家の話になると、きわめて謙虚になるのだが、ふたつのことについては、いつも手放しに自賛する。
ひとつは、細川家が途切れることなく日誌をつけ続けてきたこと。もうひとつは、それを焼失するような火事に遭わなかったことだ。
細川さんによれば、800年に及ぶ膨大な古文書を、大学などの助けも借りて整理を始めたというが、まだその三分の一にも達していないらしい。ときどき新発見があると、わざわざ電話で私までして教えてくれたりする。例えば、元禄15年12月の赤穂浪士が吉良邸に討ち入った夜は、雪が降っていなかったというのだ。
いわゆる四十七士は討ち入り後、雪の中を高輪にあった細川邸に身を寄せたことになっている。だが、細川家の日誌によると、その日は晴れていたという。とすれば、雪の日の討ち入りは後世の創作であったことになる。
「日誌を全部読むと、歴史が塗り替えられることも少なくないだろう」と細川さんは語る。
こんな話をするのは、現在の日本政府の公文書に対するあまりに無責任な姿勢にあきれ果てたからだ。
報道によると、新型コロナウイルスへの対応を検討する専門家会議の議事録について、共同通信が政府に情報公開請求をしたところ、事務局である内閣官房による議事の概要と資料は公表されているが、各メンバーの発言を含め、そもそも議事録が作成されていないことが判明した。
言うまでもなく、専門家の議論を記録することは、単に現在の感染症対策のために必要であるだけではない。歴史的な史料として後世に残すためである。
2011年の東日本大震災の際、われわれは清和天皇時代の貞観地震にまでさかのぼって調べた。地震や津波の大きさはもちろん、避難方法や事後の対策や復旧のやり方まで、どこかに当時の専門家の知見や意見の記述がないか、調べ尽くそうとしたものだ。
感染症も同じである。西洋ばかりではなく日本でも、古代に起きた感染症に関する記述が、さまざまな古文書に残っている。
だからこそ、今回のコロナ危機に関する専門家の知見や主張などを、あまさず記録して後世に伝えることが、政府の義務であろう。ひょっとすると、いかにも「バカげた話」もあるかもしれない。しかし、そうした議論も含めてそまま伝えていくことが大切なのだ。何百年か後に同じような感染症のパンデミックが起きた場合に、それが重要な資料になるのである。
とりわけ、今回、政府が設置した専門家会議は、国民の税金を使って運営されている“場”である。そこで何が話しあわれ、何が決められたのかを、納税者の存在を無視して、記録に残さないとは、もってのほかであろう。
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