新型コロナ専門家会議の議事をすべて公開することが必要なわけ
ひとつの方向に誘導しようとする官僚の手法を改めなければ政府の会議は有害無用になる
田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授

会見する専門家会議の尾身茂副座長(右)、西浦博・北大教授(左)と押谷仁・東北大教授=2020年5月29日午後8時3分、東京都千代田区
平成の初め、1993(平成5)年に発足した非自民連立の細川護熙内閣で、私は「総理大臣特別補佐」という立場を与えられた。戦後長く続いた「55年体制」を終わらせた歴史的な内閣だけに、さまざまな新たな取り組みがあったが、総理大臣特別補佐もそのひとつ。法律の裏付けのない役職だったので、まともな部屋も手当もなかった。
細川元首相は熊本藩主の家系であり、今年の大河ドラマの主人公である明智光秀の血も引いている。歴史における細川家の話になると、きわめて謙虚になるのだが、ふたつのことについては、いつも手放しに自賛する。
ひとつは、細川家が途切れることなく日誌をつけ続けてきたこと。もうひとつは、それを焼失するような火事に遭わなかったことだ。
赤穂浪士の討ち入りの夜、雪は降っていなかった
細川さんによれば、800年に及ぶ膨大な古文書を、大学などの助けも借りて整理を始めたというが、まだその三分の一にも達していないらしい。ときどき新発見があると、わざわざ電話で私までして教えてくれたりする。例えば、元禄15年12月の赤穂浪士が吉良邸に討ち入った夜は、雪が降っていなかったというのだ。
いわゆる四十七士は討ち入り後、雪の中を高輪にあった細川邸に身を寄せたことになっている。だが、細川家の日誌によると、その日は晴れていたという。とすれば、雪の日の討ち入りは後世の創作であったことになる。
「日誌を全部読むと、歴史が塗り替えられることも少なくないだろう」と細川さんは語る。