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「非移動」が生む「東京一極集中」の是正と「価値の多様化」

ウイルスが我々に問いかけているもの(5)「移動」

花田吉隆 元防衛大学校教授

群れることを良しとする日本人

 日本の東京一極集中は、産業化の産物だが、日本人が「混雑」を良しとした面がないわけではない。元来、人は人との距離を一定程度保つことにより快適さを得る。日本で、他人の侵入をものともしない生活空間が形作られているのは不思議と言わざるを得ない。今はともかく、一昔前まで、隣家の話し声は当然のように耳に入ってきた。通勤では、人と人とが文字通り肌を接して空間を共有する。

 誰もがどうしようもないと思い、諦めてはいるが、しかし、諦めているだけというわけでもない。人々は、仕事の後、狭い路地の一杯飲み屋に好んでたむろする。ラーメン屋は数席しかないカウンターだけで、隣の客とは密着だ。仕事場は、依然、大部屋の方が風通しが良いとされ、個室はタコつぼ化して良くないという。

 つまり、日本人は、群れることを良しとするところがある。「分離」は非人間的で、「ごちゃまぜ」こそが、人間的と考えている節がある。人と人は、肌を触れ合ってこそ絆を保てる。

 この「ごちゃまぜ文化」はアジア特有だ。アジアは、どこに行っても「混雑」し、互いの間の「仕切り」がない。それは、「アジア的混沌」とも言われ、かつては後進性の象徴ともされたが、世界有数の成長センターとなった今も、アジア的混沌が是正される兆しはない。我々は欧州と違い「仕切る文化」ではない。

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筆者

花田吉隆

花田吉隆(はなだ・よしたか) 元防衛大学校教授

1953年生まれ。在スイス大使館公使、在フランクフルト総領事、在東ティモール特命全権大使、防衛大学校教授等を経て、現在、早稲田大学非常勤講師。著書に「東ティモールの成功と国造りの課題」(創成社)「スイスが問う明日の日本」(刀水書房)等。

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