藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【7】ナショナリズム ドイツとは何か/ダッハウ① 強制収容所跡を歩く
2月11日朝、ニュルンベルクからドイツ鉄道の特急に乗り、さらに南のミュンヘンへ。外国人旅行者用の乗り放題パスを手に一等車に入ると、大都市へ通うビジネスマンらで満席だ。でもゆったりとした座席で、コーヒーを飲んだり、タブレットを眺めたりしている。
目的地はミュンヘン近郊の街、ダッハウにある強制収容所跡だ。
ナショナリズム、つまり国民がまとまろうとする気持ちや動きとは何かを探るため、ドイツを旅している。最初に訪れたニュルンベルクでは、かつてナチスが数十万人を集め党大会を催した遺構を訪ね、ナショナリズムの最悪の形としてのナチズムと、それを繰り返すまいと「記録」を継ぐ営みの一端を見た。
そこからダッハウへ足を伸ばした狙いは同じだった。ニュルンベルクのナチス党大会記録センターに勤める、マルチナ・クリストマイヤー博士(46)の言葉が頭に残っていた。
「ナチスは自分たちの活動に関する多くの資料を作りました。戦争が終わる頃に捨てられたものもありますが、ドイツへ侵攻し占領した連合国軍は、ナチスの犯罪を証拠づけるために文書や写真を確保した。それが各地で展示に生かされています」
「ドイツの歴史はモザイクです。このセンターは加害者について、強制収容所跡は被害者について、ナチズムを『記録』し、協力して全体像を現在に示そうとしています」
ナチスが第二次大戦の拡大とともに国内外に1500カ所以上も展開した強制収容所。その遺構で被害者について「記録」を刻む場には、もちろん被害者自身が残した記録もあるはずだ。
その強制収容所のモデルとなったダッハウを、見過ごすことはできなかった。40を超す国々から20万人以上が連行され、少なくとも4万1500人が亡くなった実態が、いまどこまで精緻に、立体的に語られているのか。
特急が1時間ほどでミュンヘン中央駅に着くと、雪が舞っていた。駅そばのホテルに早めに荷物を預け、ローカル線でダッハウ駅へ。さらに路線バスで住宅街を抜けていく。