藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【8】ナショナリズム ドイツとは何か/ダッハウ② 強制収容所跡を歩く
理想の国家にそぐわない人々を排除し、ホロコースト(大量虐殺)を犯したナチス・ドイツ。いびつなナショナリズムを支えた強制収容所の跡を、ミュンヘン近郊のダッハウに訪ねている。
2月11日午後、私は収容者が詰め込まれたバラック跡や遺体焼却場をめぐった後、常設展のある史料館へ向かった。ダッハウから欧州へ広がった強制収容所のシステムを仕切った、ナチスのSS(親衛隊)の管理棟の遺構だ。
「12歳以下は訪れぬように」とある史料館に緊張気味に入ると、高校生ぐらいの私服の生徒たちで混み合っていた。ガイドの男性の説明に聴き入る子たちのそばのベンチで、おしゃべりしてふざけ合う子たち。「静かに」とガイドが舌打ちし、たしなめる。
日本の社会見学のような雰囲気に少しホッとしたが、その最初の部屋にいきなり大きな欧州の地図があり、気圧された。「戦中のナチスの収容所システム」というタイトルだ。
強制収容所はダッハウなど21カ所、絶滅収容所はアウシュビッツなど7カ所、安楽死計画センター6カ所、その他「ユダヤ人強制労働のための重要な収容所」など、少なくとも数百は示された様々な種類の収容所が、西はパリ周辺、東はロシアと接する諸国にまで広がる。激戦となった当時のソ連西部を除けば、第二次大戦でのドイツの侵略範囲にほぼ重なる。
ナチスが1933年に政権を握り、強制収容所をダッハウなどに造った当初、連行されたのは「政治犯」が中心だった。だが、理想国家建設に向けたユダヤ人などの排除、周辺国への侵略による捕虜の収容や戦時経済での強制労働など、ナチスの暴走とともに強制収容所は拡大、変質し、そのシステムの中枢をなすダッハウは混沌に陥っていく。
この地図はそうした強制収容所システムの行く末を示唆するが、初めて見る人にすれば淡々とした地名と記号の広がりに過ぎないとも言える。
すでに教室でそれなりに学んだであろう、生徒たちの疑問が聞こえてくる。「今もある有名な企業も当時強制労働を利用したんですか」。そう。ドイツでは、フォルクスワーゲンやBMW、シーメンスといった大企業が戦後に補償を迫られた。
「強制収容所では障害のある人も殺されたんですか」。その疑問への答えは、展示の先にある。
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