藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【9】ナショナリズム ドイツとは何か/ダッハウ③ 強制収容所跡を歩く
ナショナリズムが最悪の形で現れたナチス・ドイツ。それを支えた強制収容所システムの中枢ダッハウについて、遺構にある史料館を2月11日午後に訪れた時のことを振り返っている。
戦前のドイツに現れたつかの間の民主主義の間隙を縫って、1933年にナチスが政権を握り、ダッハウに強制収容所ができる。その経緯をたどる史料館の展示に、第二次大戦での敗北が迫る中での最期の様子が生々しい。
連合国軍の反攻がドイツを包囲する。ドイツが侵略で支配を広げた地域から国内へと、強制収容所の間で人々が移送される。収容者が約6万人にまで急増したダッハウは破綻に瀕し、管理を担うSS(親衛隊)は1945年4月、ついにダッハウからの移送を始める。26日には約7千人が徒歩でアルプス山脈へ向かう「死の行進」が始まった。
4月28日には収容所で反乱が起き、SS上層部がダッハウを離れてしまう。40カ国以上から連行されてきた収容者たちは「国際収容者委員会」を立ち上げた。
そして4月29日、米軍が収容所を解放する。ヒトラーは30日に首都ベルリンの総統官邸の地下壕で自殺。ドイツは5月8日に降伏した。
ここでドイツの問題から話がそれるが、ダッハウを舞台とした、ナショナリズムがもつれ合うあるエピソードを紹介しておきたい。強制収容所の解放にあたった米陸軍の日系人部隊のことだ。