藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【11】ナショナリズム ドイツとは何か/ベルリン② 現代史凝縮の地
ドイツのナショナリズムを探る旅でベルリンに入り、取材の2日目。近郊のポツダムを2月14日午前に訪れた。ドイツと、そして日本の戦後に甚大な影響を与えた、1945年7~8月の米英ソ首脳会談があった場所だ。
近代国家や国民というまとまりは、人間社会が生み出した秩序だ。それを侵そうとした国家がいかに厳しい報いを受け、自身のまとまりをも根底から揺るがされるのか。ナショナリズムの因果を現代史に赤裸々に刻んだ会談の地を、見ておきたかった。
今回は日本と相似である敗戦国ドイツの側ではなく、ポツダム会談の主役である戦勝国の側に回って考える。ドイツが破壊した欧州秩序の再構築をめぐり、戦勝国もまた揺れていた。
ポツダムは、ベルリン州をすっぽり囲むブランデンブルク州の州都だ。プロイセン王国以来の首都ベルリンに座したかつての王室の離宮や庭園の数々がある古都で、世界遺産に指定されている。
ドイツ鉄道のベルリン中央駅から、ローカル線で30分と少しでポツダム駅。冷たい小雨の中、見学の生徒たちとハーフェル川に架かる橋を渡り、市街へと歩いていく。
路線バスに乗って石畳の町並みを抜け、10数分で煉瓦造りの門と塀に囲まれた庭園に着く。ポツダム会談の場となったツェツィーリエンホフ宮殿だ。
この宮殿もドイツの歴史を映す。第一次大戦敗北により帝政が終わった頃にできた最後の宮殿で、皇太子が住み続けた。ドイツ史の継承者として「第三帝国」を掲げたヒトラーも何度か訪問。そして敗戦後、第二次大戦末期にベルリンへ反攻したソ連軍に接収された。
住宅街と隣り合う庭園の脇にある、寂れた門から入る。木立を抜けると茶褐色の山荘風の宮殿が現れた。今はポツダム会議の史料館になっており、中庭の芝生に大きな星形の刈り込みが見えた。ソ連軍接収当時の名残だ。