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父はナチス時代のドイツ兵 理解できなかった娘 旧東独出身者との対話

【13】ナショナリズム ドイツとは何か/ベルリン④ 現代史凝縮の地

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

拡大旧東ベルリンのアレクサンダー広場にある世界時計(手前)と、テレビ塔。ともに1969年に東ドイツ建国20周年を記念して完成した=2月、ベルリン。藤田撮影(以下同じ)

【連載】ナショナリズム ドイツとは何か

 米ソ冷戦の頃、壁で東西に割かれていたベルリン。旧東側の一角に、今も分断ナショナリズムの象徴がそびえ立つ。半世紀前に東ドイツが造ったテレビ塔だ。高さは東京タワーを凌ぐ368メートルで、200メートルあたりに巨大な球形の展望台を抱える。

 2月中旬、私はドイツのナショナリズムを考える旅でそのそばを巡り、天を突く巨木が球を貫くかのような威容を仰いだ。

拡大旧東ベルリンにあるテレビ塔。1969年に東ドイツ建国20周年を記念して完成した

 米ソの緊張が高まりキューバ危機も起きた1960年代初め、壁で突如隔てられ世界の注目を集めたベルリンの街は、資本主義と共産主義が互いに優位を誇示する「ショーウィンドー」になっていった。東ドイツ建国20周年の69年に完成し、西ベルリンを見下ろした東ベルリンのテレビ塔はその典型だ。

 球形展望台がイメージしたのは人類初の人工衛星スプートニク1号。1957年にソ連が打ち上げに成功して米国に衝撃を与え、宇宙開発競争の嚆矢(こうし)となった。テレビ塔自体は、東ドイツにおけるカラーテレビ普及をはじめとする国民生活向上をアピールした。

 そこから少し歩いた国立ドイツ歴史博物館の冷戦期の展示には、その建国20周年の際の東ドイツの世相がテレビ塔の話を交えて記されていた。

 「政府からの寛大な贈り物へのお返しに、国民は国家への忠誠と愛を行動で示した。自由ドイツ青年団(FDJ)が祝賀の夜にトーチを掲げた行進のスローガンは、『私たちの愛と忠誠は、すべて社会主義の祖国のために』だった」

拡大ベルリンの国立ドイツ歴史博物館の展示
 トーチ行進という言葉に、ナチス政権の頃にヒトラーを讃えたものを思い出した。ナチズムに抵抗した共産主義を国是とする東ドイツにも、似た光景があったのだ。

 国民がまとまろうとする気持ちや動きとしてのナショナリズムは、東ドイツではどのように現れ、冷戦を経て1990年の再統一後はどうなったのか。ナチズム後の共産主義というテーマの手強さをわかってはいたが、ぜひ体験者に話を聞きたかった。

 ドイツでは最近、排外主義を唱える新興右翼政党が勢いづく。ナチズムの教訓の継承を疑わせるその現象は、とりわけ旧東ドイツの地域で目立つ。それがなぜなのかがなかなか見えてこない。冷戦後に西側が東側を吸収した今のドイツでは、西側の史観が幅を効かせすぎている――。

 ドイツに入ってから、私はそんな思いを強めていた。

 ベルリン滞在中、東側の話をじっくり聞ける人に思わぬ形で会えた。フンボルト大学に属する森鷗外記念館の副館長、ベアーテ・ヴォンデさん(65)だ。

 19世紀後半、近代国家として歩み始めていたドイツに学ぼうと、明治維新を経た日本から多くの留学生がやって来た。医学生で後に軍医・作家となる鷗外もその一人。フンボルト大学に通った頃の下宿が、いま記念館になっている。

拡大ベルリンにあるフンボルト大学の森鷗外記念館

 記念館を訪れて責任者への挨拶を望むと、大柄で笑顔の絶えないヴォンデさんが現れた。流暢な日本語で自己紹介があり、東ドイツ出身と知る。日独の文化交流を支え続け、定年が迫り近く記念館を離れるというので、「ぜひ、インタビューを」と頼みこんだ。

 ヴォンデさんは快く応じてくれた。2月14日の夕方、「一行りでも一字でも調べて行くのが自分の生命だ」という鷗外の言葉の書が掛かる記念館の一室で、子供の頃の話から始まった。

 東ドイツのナショナリズムと再統一後の行方、そもそも国とは何かを考える上で、ヴォンデさんの話は得がたいものだった。国立ドイツ歴史博物館の展示でたどった東ドイツ41年の歴史と重ねながら紹介したい。

拡大旧東ドイツの頃を振り返るベアーテ・ヴォンデさん

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筆者

藤田直央

藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)

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