大部屋主義に基づく日本的伝統はどう変わるのか
2020年06月09日
地政学上、空間と時間の分析が重要であることは「内省力を鍛え〝ネット・バカ〟の増殖を抑止せよ:心理的時間としての「コロナ時間」に向き合う」でも指摘した。今回は、コロナ禍で注目されている「テレワーク」が職場と自宅との空間にどのような影響をもたらしているかについて考えてみたい。その際、重要なのは「文化的差異」に着目することだ。
空間認識が権力にかかわり、ゆえに地政学上の重要概念であることを教えてくれるのは山本理顕著『権力の空間/空間の権力:個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』(講談社、2015)である。それによると、ギリシャの都市国家は公的領域と私的領域をその設計思想によって区別してきた。家屋のなかに両者の「閾(しきい)」が内在することで、両者の分断を避けてきたのである。家事にかかわる空間と、それ以外に外部との交流を前提とする空間を設計上分けたことで、「公」と「私」の区分につながったというのだ。
日本でいえば、「世間」というわけのわからない空間のなかに、「イエ」というもう一つの空間があり、そのイエは縁側という独特の閾によって世間とイエとに隔てられてきた。
家屋をみると、西欧は石づくりの厚い壁で隔てられた比較的プライバシーが守られやすい環境を特徴とした。これに対して、日本の場合、家屋の内部は壁で隔てられるよりも、御簾や几帳、加えて障子による区分を基本としていたから、そもそもプライバシーなる概念が育ちにくい環境にあった。
ちなみに、筆者の主たる研究対象であるロシアは「木の文化」であり、その点では、アジア方面の文化に近い(異論を唱える人もいるかもしれないが、この意見はドストエフスキーが『悪霊』のなかでのべたものに準じている)。
筆者はモスクワ特派員時代にカザフスタンのアルマトゥイに出張した際、自動車ディーラーの会社社長から、「ユーラシア大陸の中央に位置するなかで、ヨーロッパや中国の個室主義ではなく、あえて日本の「大部屋主義」に倣ってオフィスをデザインした」という話を聞いたことがある。1997年ころの話だ。仕切りのない空間に机を並べて複数の社員が執務をこなすことで、和気あいあいとした協調ムードを醸成でき、情報の共有が容易で仕事の効率をあげられると判断したからだという。
その当時、アーキテクチャ(技術上の設計)が人間の行動におよぼす影響を考慮してオフィスを効率的にデザインするといった発想自体が希薄だったから、なぜか欧米のオフィスは個室中心で、数多くの部屋が仕切られていた。当時のロシアも中国も日本に比べると、個室が多い印象がある。
日本の場合、人口密度が高いという物理的制約もあるが、役所でも会社でも職務範囲が明確ではなく、仕事は課や係といった組織に振り分けられるという特徴があった(大森彌著『官のシステム』)。その結果、個々人が仕事をするというよりも各職場で集団的に協力し合って行うという「働き方」が幅広く受けいれられて、それが「大部屋主義」につながったと考えられる。
ちなみに、子どもを育てる際、早くから子ども部屋に一人で寝かせる欧米型と、親とともに寝かせる日本型の差も、その後の人格形成上の差異につながっているのかもしれない。
家庭内に通信手段としてまず入り込んだのは電話だろう。家庭空間はこの「異物」をいきなり居間や寝室に入れることはなかった。電話は「土間」と呼ばれる玄関近くに置かれ
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