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コロナが暴く米国社会の「分断」という暗部

花田吉隆 元防衛大学校教授

自助を基本としてきた米国

 米国は、建国以来、自助を基本としてきた。自らは自らが守る。社会は無限の可能性に満ちている。自らの才覚と努力により、人はいくらでもその成果を刈り取ることができる。逆に努力を惜しみ、あるいは才覚を磨こうとしない者に天が微笑むことはない。米国社会は、世界から押し寄せた移民の前に巨大なニンジンをぶら下げ、さあ、走れと言っているのだ。そのニンジンは、とてつもない富の可能性を秘めており、人々は成功を夢見て、ただひたすらニンジン目がけ走り続けていく。

 ところが、競争社会に勝者と敗者はつきものだ。皆が勝者になれるわけではない。しかし米国社会に、敗者に対する寛大なセーフティーネットは用意されてない。

 このあたりは、欧州や日本と決定的に異なる。この冷酷ともいえる競争社会こそ、米国経済のダイナミズムを生み出し、米国社会の明日を保証してきた。そこで生き残ることこそが米国人の夢であり、各人が夢に向かって遮二無二走り続けるのが米国の強さの根源になっている。

「違いを放置する社会」を統合することの矛盾

 そういう「違いを放置する社会」が「違いを乗り越えて統合」しようとするところに、米国社会が抱える根本的な矛盾がある。米国が、違いが生じることを何とも思わない社会である以上、

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筆者

花田吉隆

花田吉隆(はなだ・よしたか) 元防衛大学校教授

在東ティモール特命全権大使、防衛大学校教授等を経て、早稲田大学非常勤講師。著書に「東ティモールの成功と国造りの課題」等。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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