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コロナが暴く米国社会の「分断」という暗部

花田吉隆 元防衛大学校教授

ホワイトハウス周辺で抗議デモに集まった人たち=2020年6月6日、ワシントン、ランハム裕子撮影

 ウイルスは人間社会の病巣を容赦なく暴いていく。米国の病巣、それは社会の分断だ。所得と人種という巨大な断層。元々、米国は移民が創った国だ。異なった出自の者が、米国国旗の下に集まり一つの社会を築き上げてきた。国民をいかに米国社会に統合していくか、米国の歴史はその一点において紡がれてきたといって過言でない。近年、特に米国社会の分断は先鋭化し、この先も、米国社会が完全に一つにまとまることは恐らくあるまい。常に社会の根底に潜む「分断」という病巣。それが、事あるごとに鎌首をもたげてくる。今回、直接の契機となったのは、ミネソタ州の白人警察官による黒人男性の死亡事件で、この種の事件が全米で一向に後を絶たない。抗議デモの嵐は高まるばかりだ。コロナ危機における黒人層の一際大きな被害と大統領選挙を睨んだ再選戦略が影を落とす。

人種による生活環境の違いが感染リスクを高める

 新型コロナは万人を無差別に襲うという。そんなことはない。そうだと言うなら、どうしてニューヨーク黒人層の死亡率が白人層の2倍にもなるか。

 しかし、考えてみればこの格差は不思議でも何でもない。新型コロナは人の密集地域を好んで狙う。黒人貧困層が、狭いアパートで大家族が肩を寄せ合うように生活すれば、コロナの格好の標的だ。休業要請が出て外出自粛をしようにも、生活のためにはそうも言っていられない。危険を冒し、地下鉄通勤すれば感染リスクはいやが上にも高まる。病気になればなったで、おいそれと医者の所に行けないのが米国社会だ。米国民の多くは、自らの才覚でプライベート保険に加入するが、その余裕がない者は、下手に医者に掛かればとてつもない金額を自腹で払わなければならなくなる。黒人に蔓延する慢性病の数々は、コロナ症状の急速な悪化の原因だ。

 別に新型コロナが人種を識別した上で攻撃対象を決めているのではない。人種による生活環境の違いが、感染リスクを高めているということだ。生活環境は、所得格差と言い換えてもいい。黒人の死亡率が2倍も高いという事実は、白人、黒人間に大きな所得格差が横たわることを意味する。

 2018年の平均値で、黒人は白人の3/5しか所得がない。資産格差に至ってはもっと大きく、黒人の保有資産は白人の1/10だ。保有資産が全くないか、あるいは負債を負う黒人は白人の2倍に上る。結局、こういう所得格差、資産格差が白人、黒人間の生活環境の違いを生み、それが感染リスクとなって黒人貧困層に大きな被害をもたらしている。

 日本では、1961年に国民皆保険が施行された。おかげで、我々は懐を心配せず医者にかかることができる。その結果が日本人の高い平均寿命だ。1961年と言えば、東京オリンピックの3年前にあたり、世は、まさに高度成長真っ盛りだった。日本は、高度成長で手にした富で国民皆保険制度を実現した。

 日本より、はるかに高い成長を謳歌した米国で、いまだ、国民皆保険制度がないのは日本人から見れば不思議だ。それは、米国社会とは何かということに関わってくる。

自助を基本としてきた米国

 米国は、建国以来、自助を基本としてきた。自らは自らが守る。社会は無限の可能性に満ちている。自らの才覚と努力により、人はいくらでもその成果を刈り取ることができる。逆に努力を惜しみ、あるいは才覚を磨こうとしない者に天が微笑むことはない。米国社会は、世界から押し寄せた移民の前に巨大なニンジンをぶら下げ、さあ、走れと言っているのだ。そのニンジンは、とてつもない富の可能性を秘めており、人々は成功を夢見て、ただひたすらニンジン目がけ走り続けていく。

 ところが、競争社会に勝者と敗者はつきものだ。皆が勝者になれるわけではない。しかし米国社会に、敗者に対する寛大なセーフティーネットは用意されてない。

 このあたりは、欧州や日本と決定的に異なる。この冷酷ともいえる競争社会こそ、米国経済のダイナミズムを生み出し、米国社会の明日を保証してきた。そこで生き残ることこそが米国人の夢であり、各人が夢に向かって遮二無二走り続けるのが米国の強さの根源になっている。

「違いを放置する社会」を統合することの矛盾

 そういう「違いを放置する社会」が「違いを乗り越えて統合」しようとするところに、米国社会が抱える根本的な矛盾がある。米国が、違いが生じることを何とも思わない社会である以上、

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