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トランプがいなくなってもアメリカ・ファーストはなくならない

エピローグ そして11月を迎える

園田耕司 朝日新聞ワシントン特派員

ホワイトハウス前デモ強制排除事件

 「Don’t shoot!(撃たないで!)」「Don’t shoot!」――

 2020年6月1日夕、首都ワシントンDCのホワイトハウス前のラファイエット広場前は1千人近くのデモ隊がシュプレヒコールをあげ、熱気に包まれていた。コロナ禍のさなか、マスクを着用した参加者たちは「Black Lives Matter(黒人の命も大事)」「Silence is violence(沈黙は暴力だ)」などと書かれた手製のプラカードを掲げていた。

両手を挙げ「撃たないで」と叫びながら、ホワイトハウス周辺を行進するデモの参加者たち=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年5月31日

 目の前のラファイエット広場はバリケードが築かれて完全封鎖されており、広場内では盾をもった警官隊が等間隔でずらりと並び、デモ隊ににらみをきかせていた。ただ、前日夜に抗議デモの一部が暴徒化したものの、この日の抗議デモは平和的に行われており、子ども連れの姿も見られた。

ホワイトハウスの前に一列に並び、警備態勢につく警官隊=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年6月2日

 午後6時半過ぎ、抗議デモの取材を終え、トランプ大統領の国民向けの演説をオフィスに戻って聞こうと現場を立ち去りかけたとき、後方200メートルで複数の炸裂音とともに白い煙が上がり、群集が逃げる姿が見えた。催涙ガスが発射されたのだと気づいた。午後7時からの外出禁止令の発令前だった。

 同じ頃、抗議デモの行われていた現場から約300メートル離れたホワイトハウスでは、トランプ氏が国民向けの演説を始めていた。抗議デモの参加者を「怒れる暴徒」と批判し、自身を「『Law and Order(法と秩序)』の大統領」だと宣言。「(警察と州兵で)街頭を制圧せよ」という強い表現を使い、全米各地で広がる抗議デモに対して地元当局は強硬姿勢を取るように迫り、対応が不十分であれば抗議デモ鎮圧のために米軍を派遣する意向を表明した(The White House. “Statement by the President.” 1 June 2020.)。演説の間、会見場には催涙ガスの発射音が響いていた。

国連総会出席後に開かれた会見で、記者からの質問に答えるトランプ大統領=ニューヨーク、ランハム裕子撮影、2019年9月25日

 トランプ氏は演説が終わると、エスパー国防長官、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長らを引き連れてホワイトハウスの建物を出て、デモ隊を強制排除した現場に到着した。向かった先は、前夜の暴動で建物の一部が燃えたセント・ジョンズ教会。歴代大統領が通う歴史的な教会である。

 トランプ氏は教会の前に行くと、教会を背景に聖書を右手に掲げ、写真撮影を行った。自身の得意とするリアリティー番組のように、メディア各社の中継のもと、「怒れる暴徒」を催涙ガスやゴム弾を使って追い散らし、自身の国民向けの演説通り「法と秩序」の回復者としてのイメージを作ろうとしたとみられる。

「法と秩序の大統領」

 「法と秩序」という言葉は、1968年の大統領選で共和党候補だったリチャード・ニクソン氏が使ったことで有名だ。

 当時はベトナム戦争が激化し、米国人の死者数増に伴って反戦運動が先鋭化。そこに、公民権運動の指導者だったマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺され、全米各地で大規模なデモや暴動が発生。ニクソン氏は「法と秩序の回復」を掲げ、当選を果たした。

 米国で起きている抗議デモの規模は、キング牧師の暗殺以来とされる。疫病と戦争という違いはあるものの、新型コロナウイルスで米国内の死者数は11万人を超え、社会不安が広がっている点でも当時と重なる。トランプ大統領が「法と秩序」という言葉を多用するのは、1968年のニクソンの勝利の再現を狙っているという見方が強い。

 ただし、「法と秩序」という言葉を歴史的な観点から考えたとき、単純に額面通りの意味として受け取ることはできない。

ホワイトハウス周辺を警備する警官隊と抗議運動をする人たち=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年6月3日

 米政治史に詳しいオマール・ワーソウ米プリンストン大助教授は「『法と秩序』は黒人を規制するという意味を含んだ隠語でもある」と指摘する(オマール・ワーソウ氏へのインタビュー取材。2020年6月1日)。

 ワーソウ氏によれば、「法と秩序」はもともと20世紀初頭、南部で「黒人の人々を秩序に従わせる」という意味で使われ始めたという。1960年代に入ると、全米各地で使われるようになり、1964年大統領選でも、共和党を保守主義者の政党へと転換させたことで知られる同党候補のバリー・ゴールドウォーター上院議員が「法と秩序」キャンペーンを展開したという。

 ワーソウ氏が1960年代の選挙結果とデモの関係を分析したところ、デモ運動が激化すればするほど、白人の民主党支持者が保守化し、「法と秩序」を強調する共和党へと乗り換える傾向があったという。ワーソウ氏は「トランプ氏はニクソン氏らのシナリオに沿って、『私こそが秩序を取り戻す』と主張している」と語る。

 米国大統領は国家的な危機が起きた場合、米国民に向けて団結を説くのが伝統だ。しかし、トランプ氏は違う。

パリ協定からの離脱を発表し、記者団に手を振るトランプ大統領=ワシントン、ランハム裕子撮影、2017年6月1日

 バージニア大政治センターの政治分析専門家カイル・コンディック氏は「米国社会において警察のあり方は常に『文化戦争』のテーマのひとつだが、トランプ氏は警察側と黒人側の間で迷うことなく、明らかに警察側の方を選んだ」と語る(カイル・コンディック氏へのインタビュー取材。2020年6月4日)。

 トランプ氏はホワイトハウス前の抗議デモを強制排除して1週間後の6月8日、地方警察の幹部らを招き、こう強調した。

 「警察は、我々を平和に生活させてくれる。たまには悪いこともあるが、99%は素晴らしい人々だ(The White House. “Remarks by President Trump and Vice President Pence in a Roundtable with Law Enforcement.” 8 June 2020.)」

「黒人に対する組織的なテロ」

 全米各地の抗議デモのきっかけとなった事件が米中西部ミネソタ州ミネアポリスで起きたのは、5月25日のことだ。白人警察官が手錠をかけて路上に抑え込んだジョージ・フロイド氏(46)の首を片膝で8分46秒にわたって抑え込んで圧迫し、死亡させたのだ。

 現場に居合わせた女性が撮影した動画では、苦しそうな表情を浮かべたフロイド氏がかすれ声で、「息ができない。プリーズ、プリーズ……」とひざをどけるように懇願していた。だが、警官は一切無視し、フロイド氏がぐったりして意識を失っても、力を緩めることなく首を圧迫し続けていた。

 衝撃的な動画はテレビで繰り返し流れ、黒人の人々の怒りは爆発した。

 米国では黒人が白人警官らに殺害される事件はずっと以前から頻発しており、2月には南部ジョージア州でジョギング中の黒人男性が白人親子に強盗犯だと間違われて射殺される事件が起きたばかりだった。

 フロイド氏への事件をきっかけに、ミネアポリスのみならず、全国各地で抗議デモが起きた。人々の密集する抗議デモへの参加は新型コロナへの感染のリスクを伴う。しかし、そのリスクを冒してでも、人々はこの状況にもはや黙っていることができなくなったのだ。

ホワイトハウスの周辺で「黒人の命も大切だ」などと書かれたプラカードを掲げ、抗議デモする人たち=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年6月6日

 ホワイトハウス前の抗議デモで声を張り上げていた黒人女性医師アイシャ・コルベット氏(50)もその一人だ。娘と一緒に参加した(アイシャ・コルベット氏への取材。2020年5月30日)。

 コルベット氏はワシントン市内で最も黒人の貧困層の多い地域「第8地区」で患者を診ているが、新型コロナの感染者は黒人が突出して多いという「不均衡な蔓延ぶり」(コルベット氏)を目撃していた。新型コロナは労働・経済・医療などあらゆる面で白人と黒人の人種格差という問題を浮き彫りにしたのだ。

 そんなさなかにミネアポリス事件が起きた。

 コルベット氏は「これは残酷な事件という問題を超え、黒人に対して『正義』が行われないという米国の司法システムの問題だ。警察は国民を守るのが仕事なのに、ほとんどの黒人は警察を怖がっている」と語る。

 コルベット氏は自分の娘にもミネアポリス事件と同じことが起きかねないと恐れている。白人の若者であれば見とがめられないささいな出来事でも、黒人であれば警察官が到着したときに問答無用で銃で撃たれるかもしれないという現実があるからだ。

フェイスガードとマスクを装着し、ホワイトハウス周辺で抗議デモに参加するアイシャ・コルベットさん=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年5月31日

 「(アフリカから黒人奴隷が連れてこられた)約400年もの間、この国で続いてきた黒人に対する組織的なテロを、大人の私たちは自分の子供たちにどう説明すれば良いのだろう?」

 コルベット氏はこう訴える。

 「私たちには米国の司法システムの徹底的な改革が必要だ。同時に、私たちは黒人の人々に対する組織的な人種差別の問題について真摯に語っていかなければいけない。その会話から、我々は法律、文化、そして警察を変える必要がある」

 抗議デモに参加した人々は、フロイド氏の暴行死事件を「一部の悪い警官」が引き起こした事件という個人の責任に帰結させるというとらえ方をしていない。警察組織には長年にわたって黒人に対する暴力を容認する組織的な人種差別が根強く残っており、これを根絶する必要がある、と訴えているのだ。

 今回の全米デモの特徴は、黒人だけが集まった抗議デモではないということだ。

 ホワイトハウス前の抗議デモを取材すると、参加者の7割程度を白人が占めており、人種を越えた幅広い連帯が進んでいる。ロイター通信が6月2日公表した世論調査では、回答者の64%が抗議デモに参加する人々に対して「同情的だ」と答え、「同情的ではない」は27%だった(Smith, Grant, Ax, Joseph and Kahn, Chris “Exclusive: Most Americans sympathize with protests, disapprove of Trump's response - Reuters/Ipsos.” 2 June 2020.)。

 全米各地の抗議デモは、最初の数日間は一部が暴徒化したが、その後は平和的な集会へと変わった。

 ホワイトハウス前では、近くでレストランを経営する白人男性グレッグ・ローズブーム氏(42)が6~16歳の子ども5人を連れて抗議デモに参加していた(グレッグ・ローズブーム氏へのインタビュー取材。2020年6月4日)。ローズブーム氏のレストランも当初、抗議デモの一部が暴徒化したことで、窓ガラスが割られる被害が出たという。しかし、「暴徒はデモ隊の中のほんの一部の人たちに過ぎない。彼らは平和的なデモをしたいという人たちを代表しているわけではない。今日は『建物よりも人の命の方が大事だ』と子どもたちに教えたくて連れてきた」と語った。

沈黙を破ったマティス

 しかし、トランプ氏にはこうした人種差別の根絶を訴える抗議デモの切実な声に耳を傾けようという姿勢は見られない。むしろデモ隊を米国社会の治安を脅かす存在だというイメージを作り上げ、社会の分断をあおろうとしている。

 トランプ氏は5月29日、デモ隊に対し「略奪が始まれば、銃撃が始まる」とツイートした。この言葉は1967年、フロリダ州のマイアミ警察署長が記者会見を開いて黒人による犯罪の取り締まりのために黒人コミュニティーに向けて発したものであり、その後キング牧師の暗殺で激化した公民権運動を取り締まる際に使われてきた人種差別的なフレーズであった。

 のちにトランプ氏はこの言葉の歴史的な背景を「知らなかった」と語ったものの、抗議デモをめぐるトランプ氏の一連の言動は「火にガソリンを注ぐ」(ニューヨーク州のクオモ知事)という目的があるのは否めない。トランプ氏としては、抗議デモの激化で社会が混乱すればするほど、自身の「法と秩序」キャンペーンの威力が発揮されるという狙いがあるとみられ、発言のトーンを抑える様子はない。

 とはいえ、トランプ氏が抗議デモ鎮圧のために米軍派遣を表明し、自身の写真撮影のために平和的な抗議集会を催涙ガスまで使って強制排除したのは、明らかに行き過ぎた権力乱用だった。

 ここで声を上げたのが、2019年1月の退任以来、トランプ氏への直接的な批判を控えていたマティス前国防長官である。

米国防総省で演説するマティス前国防長官=バージニア州アーリントン、ランハム裕子撮影、2018年9月21日

 マティス氏は3日、米誌「アトランティック」に寄せた声明(Goldberg, Jeffrey. “James Mattis Denounces President Trump, Describes Him as a Threat to the Constitution.” The Atlantic 3 June 2020.)で、「抗議デモに参加する人々が要求しているのは、法の下の平等な正義だ」と指摘し、抗議デモを支持する考えであることを明確に示した。

 そのうえで「合衆国憲法に基づく市民の権利を侵害せよと米軍が命令されることがあるとは、私は夢にも思わなかった。ましてや、最高司令官である大統領が米軍のリーダーたちと一緒になって異様な記念撮影を行うことも想像だにしなかった」と記すとともに、「我々は米国の都市が、米軍によって『制圧』されるべき『戦場』だとみなす考え方を拒否しなければいけない」とも述べ、トランプ氏のみならず、同氏に同調したエスパー、ミリー両氏を厳しく批判した。

 さらにナチスのスローガンは「分裂と征服」だと言及したうえで、トランプ氏について「私の生涯のうち、米国民を団結させようとしない、いやその素振りすらしようとしない唯一の大統領だ。さらには団結どころか、米国を分裂させようとしている」と痛烈に非難した。

 マティス氏は同盟国を軽視するトランプ氏に抗議して辞任した。今回、トランプ氏批判の沈黙を破った理由について、マティス氏の側近で、チーフ・スピーチライターを務めたガイ・スノッドグラス氏は「トランプ氏はこれまでも自身の立場を米国民によく見せたいという思惑のもと、米軍を『政治的小道具』として使い続けてきた。この点が歴代大統領の米軍の使い方とは明らかに異質な部分だ。マティス氏は、米軍が政治的な動きをしていると見られれば見られるほど、米国民の信用を失っていくと憂慮していた」と語る(ガイ・スノッドグラス氏へのインタビュー取材。2020年6月10日)。

インタビューに応じるガイ・スノッドグラス氏=ワシントン、ランハム裕子撮影、2019年11月21日

 抗議デモに対する政権の対応については、マティス氏のみならず、マレン元統参議長やデンプシー元統参議長ら元軍高官らが相次いで批判の声を上げた。その結果、エスパー氏は抗議デモ鎮圧のための米軍派遣に反対する姿勢を表明せざるを得なくなり、ミリー氏も教会前での写真撮影にトランプ氏と同行したことについて「私はそこにいるべきではなかった」と謝罪に追い込まれた。

人種差別問題でつまずく

 11月の大統領選再選に向け、トランプ氏の最大の強みは好調な米経済だった。一般的に現職大統領は「経済が好調かつ戦争がなければ再選する」と言われており、トランプ氏は再選に向けて自身の足場を着実に固めつつあるように見えた。

 しかし、トランプ氏にとって最大の不幸は、新型コロナウイルスの直撃にあった。

 もともと「Drain The Swamp(ヘドロをかき出せ)」というスローガンを掲げてワシントンに乗り込んできたアウトサイダーのトランプ氏は、歴代政権を支えてきた専門家の存在を軽視し、自分に歯向かった閣僚らの更迭を続けた。その結果、政権内で独裁的な権力を確立させることに成功したものの、周囲はトランプ氏の行動をいさめることはない「イエスマン」ばかりとなり、新型コロナという国家的危機が起きた際、政権の対応はトランプ氏の衝動的な思いつきの判断に振り回され、危機管理能力の欠如を露呈することになった。

 米国内の死者数が10万人に間近に迫った5月22日に公表された米ABCニュースの世論調査によれば、トランプ氏の新型コロナ対応を「評価しない」と答えた人は60%にのぼり(Karson, Kendall and Scanlan, Quinn. “Black Americans and Latinos nearly 3 times as likely to know someone who died of COVID-19: POLL.” abc NEWS 22 May 2020.)、トランプ氏の新型コロナ対応は「失政」という評価が定着しつつある。

 また、新型コロナ感染を防ぐための外出禁止令などで経済活動は停滞し、好調な米経済は逆に戦後最悪の水準へと反転し、トランプ氏の再選戦略は大きく狂うことになる。

 そんなさなかに起きたのが、フロイド氏暴行死事件をきっかけとした全米各地の抗議デモの拡大だった。

 トランプ氏としては「人々の関心を新型コロナから別のものに変える必要があった」(元トランプ政権高官)という状況のもと、新たに「法と秩序の回復」キャンペーンを始めて局面打開を図ろうとした。

 しかし、ニクソン氏とトランプ氏は状況が異なる。1968年は民主党政権が8年間続いたあとの大統領選であり、ニクソン氏は現政権を批判する立場の挑戦者だった。これに対し、トランプ氏は現職大統領として治安を維持する責任のある立場だ。

 バージニア大政治センターの政治分析専門家カイル・コンディック氏は「政権トップが無法状態を批判するのは難しい」と指摘する。これに加え、トランプ氏の言動には前回2016年大統領選のように米国を白人社会とみなしているかのような人種差別的な価値観が全面的に出ていることで大きな反発を買っており、トランプ氏は新型コロナに引き続き、人種差別問題でもつまずくことになる。

 トランプ氏の再選に向けた前途は険しい。

国連総会に出席後、記者会見で演説するトランプ大統領=ニューヨーク、ランハム裕子撮影、2019年9月25日

 CNNの6月8日公表の世論調査では、民主党のバイデン前副大統領に「投票する」と答えた人は55%にのぼり、トランプ氏の41%と14ポイントもの差が開いた(Agiesta, Jennifer. “CNN Poll: Trump losing ground to Biden amid chaotic week.” CNN 8 June 2020.)。トランプ氏の支持率も38%と4割を切り、前月に比べて7ポイント下がっている。一期で終わったカーター元大統領とH・W・ブッシュ元大統領の同時期とほぼ同じ支持率という。CNN以外の各種世論調査でも、同じような傾向がみられており、激戦州も含めてバイデン氏の優勢が顕著になりつつある。

 コンディック氏は「トランプ氏のデモ隊強制排除などの強硬な対応は、トランプ氏を強く支持する人たちには受けるだろう。しかし、最大の問題は、トランプ氏の支持者は底堅い一方、米国民の過半数を占めていないという点だ。トランプ氏は再選のためには一期目の間に支持者を拡大する必要があると指摘されてきたが、達成できていない」と語る。

戦後国際秩序を壊し始めた米国

 米外交には二つの大きな潮流がある。

 一つ目は、第5代大統領ジェームズ・モンロー(在任期間1817~25年)の「モンロー宣言」にみられる孤立主義である。

 二つ目は、第28代大統領ウッドロー・ウィルソン(在任期間1913~21年)の「理想主義外交」にみられる国際主義だ。

 米国の外交史を振り返ったとき、この二つの潮流が激しくぶつかりながら米外交が形成されてきたといってよいだろう。

 自国利益を最優先に考えるアメリカ・ファーストを掲げたトランプ氏の外交は、明らかに前者に属する。2017年1月の就任式後すぐに、環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱するための大統領に署名し、その後も地球温暖化対策の国際ルール「パリ協定」、国連教育科学文化機関(ユネスコ)、イラン核合意、ロシアと結んでいた中距離核戦力(INF)全廃条約など国際的な約束や機関からの離脱・破棄を次々と決め、世界中がコロナ禍に直面しているさなかに世界保健機関(WHO)からの離脱を表明した。

 そんなトランプ氏が国際社会に推奨するモデルこそ、各国はそれぞれ自国の利益を第一に追求するべきだという自国第一主義の考え方である。

 トランプ氏は2019年9月の国連総会一般討論演説で、「賢い指導者はいつも自国民と自国の利益を最優先に考える。未来はグローバリストのものではなく、愛国者のものだ」と語っている(The White House. “Remarks by President Trump to the 74th Session of the United Nations General Assembly.” 24 September 2019.)。

 超大国トップの米国大統領の言動が国際社会に与える影響力は大きい。トランプ氏がこの4年間、アメリカ・ファーストを追求したことで、国際社会には次の三つの影響を与えたといえる。

 一つ目は、国際社会が米国という国家意思の本質を学んだということである。

 米国は第2次世界大戦後、国際協調を基調とした外交を展開してきた。自国利益を追求する一方、同盟国・友好国との連携を重視し、米国の行動が米国のみならず国際社会にとってもプラスに働くという「ウィン・ウィン」の関係を常に示そうとしてきた。

 しかし、トランプ氏の掲げるアメリカ・ファーストは「自国さえ良ければよい」というむき出しの国家の本能であり、外交上の虚飾をすべてはぎ取ってしまった。「すべての国家は自国益の最大化を目標としている」というごく単純な事実を改めて我々に気づかせてくれたともいえる。

 トランプ氏が引退したのち、米国が再び国際協調路線に転じ、米国が「我々は各国との『ウィン・ウィン』の関係を重視している」と訴えても、この4年間に米国という国家の本質的な意思を見せつけられた以上、国際社会から米国への不信感がぬぐい去られるのは時間を要するとみられる。

 二つ目は、戦後国際秩序の守護者であるはずの米国がアメリカ・ファーストという新たなモデルを示し、各国も自国第一主義を追求しても良いという「お墨付き」を与えたことで、各国が国際協調よりも自国益の最大化に向けた動きを強め始めているという点である。

 コロナ禍という世界的な危機が起きた際、各国の対策では自国防衛に比重が置かれ、国際協調による解決策を探る動きが乏しかったのもこの点が影響しているとみられる。

 日本外交も他人事ではなく、「トランプ化」しているという見方がある。米外交研究の第一人者であるウォルター・ラッセル・ミード氏は、日本が日韓の歴史問題を背景に、対韓輸出規制措置を取ったことをめぐり、「貿易に政治を絡ませる日本の決断は、国家戦略の劇的なシフトを意味する。(日本は)トランプ流としか言いようがない方法で自国の強みを最大限化しようとしている」と指摘した(Mead, Walter Russell. “Trump Goes to Japan, and Japan to Him.” The Wall Street Journal 1 July 2019.)。

インタビューに応じるウォルター・ラッセル・ミード氏=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年2月25日

 各国が国際協調にそっぽを向いてトランプ氏の提唱する自国第一主義を追求し始めれば、国際協調に基づくリベラルな戦後秩序はおのずと崩壊の危機に直面することになる。

 三つ目は、米国がアメリカ・ファーストのもとで内向き志向を強めることで、中国やロシアといった権威主義国家を勢いづかせている点にある。

 トランプ氏は独裁型・強権型の政治指導者を好む。金正恩朝鮮労働党委員長を絶賛し、ロシアのプーチン大統領へも敬意を隠さず、中国の習近平国家主席をほめたたえてきた。

 米国がコロナ禍のさなかに国際社会のリーダー役を事実上放棄しつつある今、「米国不在」で発言力を強めようとしているのは、経済的・軍事的な台頭著しい中国を中心に、米国の覇権を嫌ってきた権威主義国家群である。中国、ロシア、イラン、北朝鮮、キューバ、ベネズエラ、シリア、ニカラグアの八カ国は3月25日、連名で「違法かつ強制的、独断的な経済圧力を、完全かつ直ちに解除するように要請する」という書簡を国連事務総長あてに提出し、米国や欧州諸国による経済制裁を解除するように国連が働きかけるように求めた。

 戦後70年以上が経ち、アメリカ・ファーストという新たな孤立主義政策を掲げたトランプ氏が国際社会の表舞台に出たことで、米国はかつて国際主義派が主導してつくった戦後国際秩序を自らの手で壊し始めているといえる。

ホワイトハウスの前で盾を持ち、一列に並ぶ警官隊=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年6月1日

アメリカ・ファーストはなくならない

 ただし、留意するべきは、これはトランプ氏一人が始めた問題ではないということだ。トランプ氏を生み出した米国社会の民意が、これまでの米国の国際社会の関与のあり方を変えつつあるのだ。

 米国社会の民意に大きな影響を与えたのが、2001年9月11日の米同時多発テロ事件をきっかけとして始まった一連の対テロ戦争である。

 イラク戦争は2011年12月に正式に終結宣言が出されたが、2001年から始まったアフガニスタン戦争は現在も続き、ベトナム戦争を超える「史上最長」の戦争となった。

 米ブラウン大国際・公共問題研究所の「戦争のコスト」プロジェクトによれば、米軍兵士の死者数は7014人にのぼり(Crawford, Neta C. and Lutz, Catherine. “Human Cost of Post-9/11 Wars: Direct War Deaths in Major War Zones, Afghanistan and Pakistan (October 2001 – October 2019); Iraq (March 2003 – October 2019); Syria (September 2014-October 2019); Yemen (October 2002-October 2019); and Other.” COST OF WAR. 13 November 2019.)、米政府は計6.4兆ドルを支出した(“Summary of War Spending, in Billions of Current Dollars FY2001-FY2020.” COST OF WAR. 13 November 2019.)。

 米国社会は20年近く続いている一連の戦争で人的・経済的に大きな犠牲を払って疲弊し、米国がリーダーシップを発揮して国際社会の紛争を解決していくという国際主義派の考え方に懐疑的になっているのだ。

 トランプ氏が大統領に当選した2016年に行われた世論調査機関ピュー・リサーチ・センターの世論調査によれば、「米国は自国の問題に対処するべきであり、他国の問題は他国自身に任せるべきだ」と答えた人は57%にのぼり、「他国を助けるべきだ」と答えた人は37%にとどまった。

 さらに、次の大統領に「内政」と「外交」のどちらに集中する方が重要かと尋ねたところ、70%が「内政」と答え、「外交」と答えたのは17%に過ぎなかった。2008年実施の調査では、「内政」と答えた人は60%であり、4年間で10ポイント増えことになる(Pew Research Center. “Public Uncertain, Divided Over America’s Place in the World.”5 May 2016.)。

 東西冷戦終結後の1990年代からアメリカ・ファーストを訴え続けてきた伝統的保守主義(ペイリオコン)の代表格、パット・ブキャナン氏は、1992、1996、2000年と大統領選に挑戦し続けてきたが、敗北に終わった。米国社会にとって当時、アメリカ・ファーストは異端の主張だった。

 しかし、それから四半世紀近くが経ち、唯一の超大国・米国の国際的な関与がかつてないほど膨張した結果、トランプ氏の掲げるアメリカ・ファーストは米国民の多数が支持する考え方となった。

 米国の国際的な関与を減らそうという「内向き」志向は、トランプ氏以外にもあらわれている。

 G・W・ブッシュ大統領の始めた対テロ戦争の後始末を託されたオバマ大統領は「米国は世界の警察官ではない」と言い続けた。前回大統領選では、国際主義派のクリントン元国務長官も、自由貿易を嫌う世論に押され、オバマ政権が進めた環太平洋経済連携協定(TPP)について「現在も反対だが、選挙後も大統領になっても反対する」と明言した(WBUR. “Clinton Vows To Oppose Trans-Pacific Partnership As Candidate And As President.” 11 August 2016.)。

 もちろんクリントン氏が仮に大統領に選出されていれば、米国が現在の極端なアメリカ・ファーストを主張することはなかっただろう。しかし、同時に、クリントン氏の国際社会への訴えの中には、自国第一主義のトーンを含まれていた可能性も否定できない。米国大統領は米国社会の多数の民意の体現者でもあるからだ。

ホワイトハウスで会見するオバマ前大統領=ワシントン、ランハム裕子撮影、2016年11月14日
選挙集会で演説するクリントン元国務長官=ニューヨーク、ランハム裕子撮影、2016年6月7日

 11月の米大統領選は、国際社会の命運をも左右する。

 トランプ氏が再選することで、米国はアメリカ・ファーストをさらに推し進め、新たな孤立主義の道を突き詰めていくのか。それとも民主党候補のジョー・バイデン前副大統領が勝利することで、米国は国際協調路線へと復帰するのか。

 ただし、バイデン氏が大統領になったからといって、米国が再びかつてのような過剰ともいえる強力な国際的リーダーシップを取り戻すことはない。

 米国大統領が「外交」よりも「内政」に集中するべきだというのは米国民の多数の民意であり、その民意をトランプ氏なりの強烈な個性で体現してみせたのがアメリカ・ファーストなのである。バイデン氏もこの米国民の民意を背負う立場にある。

 バイデン氏の選挙公約では、アフガニスタンからの米軍撤退についてトランプ氏と同様に賛成の立場を取っており、1期目の任期中に戦闘部隊を撤退させ、対テロ作戦の部隊だけを現地に残す考えを示している。仮にバイデン氏が大統領選に選出されば、同氏の掲げる国際協調路線のもと、米国は自国の内政問題により集中できるように、これまで負担してきた超大国としての責任を、各国で分かち合うように求めていく傾向をさらに強めるだろう。

 アメリカ・ファーストはなくならない。トランプ氏の引退後も姿を変え、国際社会に影響を与え続けていくことになるのだ。

ホワイトハウス周辺で行われた抗議デモ=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年6月6日

朝日新聞ワシントン特派員の園田耕司記者の長期連載『アメリカ・ファースト ―トランプの外交安保―』はこれで終わります。連載は今年11月の大統領選前に書籍化して出版する予定です。園田記者は引き続きコロナ禍のなかで大統領選に向かう米国のいまを論座でレポートします。(論座編集部)