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藤井聡太七段の群を抜く大局観に思う

将棋だけでなくすべての分野に当てはまる大局観を持つことの大切さ。

田中秀征 元経企庁長官 福山大学客員教授

将棋史上最強の棋士

 藤井はすでに“400年に一人の天才”と言われたりする。徳川家によって「将棋名人」が創設されたのはほぼ400年前だから、早くも将棋史上最強の棋士になると認められたようなものだ。

 私もかなり早い段階から彼に注目してきた。とりわけ、小学校6年で詰将棋のプロ・アマがこぞって参戦する「詰将棋選手権」で優勝してから、目が離せなくなった。以来、この選手権でも彼は五連覇中である。

 詰将棋を解くのはもちろんだが、創作でも10歳にして将棋雑誌から賞を受けている。あっという間に長手数の詰将棋を解くというのは、もう人間業とは思えない。十数手詰めを何日もかけて考える自分とは比べものにならない。

 以来、彼は常に最年少の記録をつくって今日に至っている。今回のタイトル戦挑戦も最年少記録だ。

 藤井と同じように中学生でプロ棋士になった天才は、ほかにも4人いる。“ひふみん”こと加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明である。

 このうち加藤は私と同年配。彼が18歳でA級八段昇段と早稲田大学への入学を果たしたこと、20歳で名人位に挑戦したときの騒ぎを、今も覚えている。当時、加藤は「神武以来の天才」と言われた。とすれば、藤井の破格さは「縄文以来の天才」と言うほかはない。

将棋がなければノーベル賞受賞者は増えた?

 永世棋聖・元将棋連盟会長の米長邦雄が亡くなってもう10年近くになる。将棋界の枠をはみ出した人気者だった。私は彼にこう言ったことがある。

 「もし、日本に将棋の世界がなければ、日本人のノーベル賞受賞者はもっと多くなったでしょう」

 彼は一瞬キョトンとして、「そうなりますかなあ」とニヤリとした。

 米長はつねづね、「兄貴たちは頭が悪いから東大に行った」とうそぶいていた。確か3人だったか、みんな将棋好きでプロになりたがっていたが、末の弟に負けるようになったので、将棋のプロになる夢を諦めて、東大に進学したというのである。

 谷川浩司九段の場合も同じだ。

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筆者

田中秀征

田中秀征(たなか・しゅうせい) 元経企庁長官 福山大学客員教授

1940年生まれ。東京大学文学部、北海道大学法学部卒。83年衆院選で自民党から当選。93年6月、自民党を離党し新党さきがけを結成、代表代行に。細川護熙政権で首相特別補佐、橋本龍太郎内閣で経企庁長官などを歴任。著書に『平成史への証言 政治はなぜ劣化したのか』(朝日選書)https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20286、『自民党本流と保守本流――保守二党ふたたび』(講談社)、『保守再生の好機』(ロッキング・オン)ほか多数。

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