2020年06月22日
アメリカ・ミネアポリス市で警察官の暴力によってジョージ・フロイド氏が命を奪われたことをきっかけに、人種差別や警察の暴力に対する抗議活動がアメリカだけでなく世界中で広がりを見せている。
そんな中、6月12日に沖縄で「Black lives matterに連帯する沖縄集会」が開かれた。
集会は沖縄県の中部、沖縄市にある胡屋十字路で行われた。夕暮れ時におよそ300人が集まった集会は、テレビがしばしば強調する暴力的な抗議デモとは違い、マイクを握って差別に関する自身の経験や思いを語る人の声を他の参加者が静かに聴き、共有する場になった。
アフリカ南部にあるレソト王国出身の女性は、「自分の母国は民族的に均質な国で、自国にいるときには差別を感じたことがなかった。進学のためにドイツに移住したとき初めて差別を経験し、自分が『黒人』であることを認識した。このような場を作ってくれたこと、そして自分達の存在に目を向けてくれたことを感謝する」と語った。
アフリカ系アメリカ人とエジプト人の両親を持つアメリカ人の男性は「2016年の大統領選挙で、自分は投票することができたのに投票をしなかった。周りの多くの友人も投票しなかった。その結果が今の状況だと思う。次の選挙では絶対に投票するし、みんなにも投票してほしい」と呼びかけ、在外アメリカ人の投票を支援するウェブサイトを紹介した。
一方で、沖縄の暮らしの中での被差別体験や、自らの心の中の差別意識について語る人もいた。
メキシコ系アメリカ人の父とOkinawan(原文ママ)の母を持つ男性は、幼い時から学校などで「タイ人」とか「フィリピン人」とからかわれ、「すごく嫌だった」と語った。けれど、よく考えれば自分のその感情こそがタイやフィリピンの人に対する差別意識であり、自分も差別をしていたと気づいたと語り、「誰しも差別をする、そのことをみんなが気づかなくてはならない」と締めくくった。
集会が行われた沖繩市、胡屋十字路は「誰しも差別する」という言葉を象徴するような場所だ。
沖縄市は東アジア最大級の米軍基地である空軍嘉手納基地を抱え、胡屋十字路は嘉手納基地のゲートから真っ直ぐに伸びる旧ゲート通り(現:空港通り)と国道330号線が交わる場所にある。ゲート通りには米軍人相手の店がずらりと並び、日常的に多くの米軍関係者が行き交う。元米軍兵が商う店も多く、沖縄とアメリカが最も色濃く交わる場所の一つである。
歴史を振り返れば、ここは沖縄の民衆約5000人と米軍憲兵や琉球警察が対峙したコザ騒動が起こった場所である。1970年12月20日未明、米兵が起こした人身事故を発端に、長年米兵による事件・事故とその不処罰や、人権を軽視した統治に苦しめられていた沖繩の人々の怒りが爆発し、米軍の車両や施設を焼き払った。沖縄とアメリカという視点から見れば、アメリカによる軍事支配という名の差別の記憶が刻まれた場所でもある。もちろんその裏に日本による沖縄に対する構造的差別が存在することも忘れてはならない。
一方で、米軍内の人種差別に沖縄の人々が最も近くで触れ、ある意味その体験を共有した場所でもある。
この付近では戦後、米軍相手の歓楽街が形成されたが、米軍内での人種差別を反映して次第に胡屋十字路から北に位置するパークアベニュー付近が白人街、東に1kmほどのところにあるコザ十字路付近は黒人街、というように人種別に二つの歓楽街ができていった。黒人が白人街に紛れ込めば、また逆に白人が黒人街に紛れ込めば襲われるような苛烈な人種間の分断と対立があったという。
そして集会に参加していた男性が述べたように、国籍や人種を越えた家族のもとに生まれたミックスルーツの子どもたちがその生い立ちや見た目をからかわれたり、いじめられたりするなど、沖縄社会の中にも差別が存在する。
ここには方向性の違う差別が幾重にも交差する。
そのような複雑な背景を持つ場所で「Black Lives Matterに連帯する沖縄集会」は開かれた。この集会を企画、主催したのは沖縄出身で大学院生の元山仁士郎さんと数人の若者だ。
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