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コロナ禍が「新しい価値観」を生み出す/保坂展人×涌井史郎

保坂展人 東京都世田谷区長 ジャーナリスト

2020年のコロナ禍は世界の人々の暮らしを大きく変えつつある。私たち日本社会も新しい価値観に根ざした新しい生活へ向かうのか。東京都世田谷区長としてコロナ対策にあたる保坂展人さんと、都市と自然の関わりについて取り組む造園家の涌井史郎さんが語り合う。

価値観を変えた「記憶の共有」

保坂 今回のコロナ禍は幅広い視野で人類史的に見てどうとらえたらよいのでしょう。

涌井 いまわれわれは歴史の中でどういう位置にいるのかを見定めることが大事です。

 コロナ前から、地球環境問題を中心に持続的な未来を担保するため行動変容を起こしていけなければならないという議論は始まっていました。先進国がいかに途上国を支援するかという議論が中心でした。もちろん、それだけでは間に合わない。ありとあらゆる人々が世界中で同時に行動変容を起こさなければならない――。そうしたことは理屈ではわかっていたのです。しかし、実感が乏しかったのです。

 コロナ禍でそうした課題が一挙に可視化されました。人間が生態系に手を入れすぎた結果、生態系の中で収まっていたウイルスを引っ張り出してしまった。いまパンデミックが拡大している現実はそこから始まったのです。

涌井史郎(わくい ・しろう) 造園家

東京都市大学特別教授、愛知学院大学経済学部特任教授、東京農業大学中部大学客員教授、岐阜県立森林アカデミー学長、なごや環境大学学長などを務める。平成15年日本国際博覧会(愛・地球博)会場演出総合プロデューサー。
これまでハウステンボス、多摩田園都市・二子玉川ライズなどのランドスケープ計画、過疎中山間地域や水源地等の活性化対策など、都市から過疎農山村に至るまで都市と自然の関わりについて取り組み、数多く作品を残している。また首都高速大規模更新検討委員会や国立公園満喫プロジェクト、新国立競技場等の国における委員会の委員長・委員や地方公共団体の審議会委員長などを務めている。

保坂 日本でも専門家会議が「新しい生活様式」や「外出自粛」を呼びかけ、狭い意味での行動変容が呼びかけられてきましたが、コロナ前の社会が当然と思っていた価値観の転換を伴う本質的な行動変容、もっと人生を変えるような選択につながるかどうかが問われています。

 短期間に大きな利益を出すのは素晴らしいとか、需要創出のために流行を作りだすとか、食料自給率は下がっても国際分業を進めるとか、そうした経済成長を最優先にした価値観は確かに揺らぎ始めています。お金があれば何でも買えて、どこへでも行けるという価値観が通用しなくなり崩れ始めているのです。

 本質的な意味での「新しい生活様式」とは、マスクを着用したり、ソーシャルディスタンスをとったりすることにとどまらず、「新しい価値観」を作り出すということです。

 日本社会は東日本大震災と原発事故でも相当なショックを受けましたが、被災地や周辺の人々、または原子力について深く考えた一部の人々をのぞいて、元の生活様式に戻ってしまいました。コロナ禍は日本社会に歴史的な大転換を引き起こすのでしょうか。

保坂展人・世田谷区長

涌井 「行動変容」を大きな視点でとらえることはとても重要です。日本社会は「経済的な富=豊かさ」という錯覚を抱いてきました。「経済成長こそが幸福量を増幅させる」という産業革命以来のモデルの延長線上を歩んできました。

 コロナ禍はそんな価値観に「ちょっと待てよ」と見直しを迫りました。米国で起きた人種差別問題も、この社会はこんなに脆弱だったのかを露呈しました。実は潜在的矛盾に気づかないふりをしてきたのかもしれません。その矛盾が改めて発見されたのです。

 感染症は世界史を変えてきました。ルネサンスが始まったのは、ポーランドやハンガリーにモンゴル軍が進出して伝染病が蔓延し、その前になすすべのなかった教会の権威が失墜したのがきっかけです。欧州社会が近世から現代に移ったのも東西貿易が進んで多くの人がペストで亡くなったのが契機でした。

 不幸な記憶を世界中が共有する時、世界は非常に大きな転機を迎える可能性が高い。「記憶の共有」が非常に大きなポイントとなるのです。

 世界中の人々がいま、コロナ禍に直面し、お金があれば本当に幸せなのかを突きつけられ、豊かさは別のところにあるのではないかと感じ始めています。これまでは会社で働くこと、経済的成果をあげることが人間の評価基準で、家はそえもの、帰ってくる場所でした。リモートワークが進むなかで、それぞれが暮らしている家や近所の位置づけが変わってきました。まさに「新しい価値観」への変容が進行しています。

大人への不信感

保坂 米国ミネアポリスでジョージ・フロイドさんが警察官に暴行され亡くなり、全米に抗議が広がっています。米国社会は「南北戦争とは何だったのか」というところにまで立ち戻り、リー将軍の肖像を置いておくのはどうなのかという議論がわきあがりました。英国では17世紀に奴隷商人として財をなしたエドワード・コルストンの銅像が引き倒されました。

 権力者の銅像が引き倒されるような光景は、冷戦崩壊後の東欧や2005年のイラク戦争後にみられましたが、今回は歴史的な時間軸がすこし長い。黒人のひとりひとりが売り買いされていた歴史、リンカーン大統領の時代、奴隷制度の廃止を巡って闘った南北戦争の評価が米国社会で煮えたぎるほど議論になっているのです。

 そして「コロンブスは英雄だったのか」というところまで議論は来ている。日本の学校でもコロンブスが新大陸を発見したと習いますが、そうした「征服史観」を覆そうという動きです。スペイン人が軍事力というよりは感染症の脅威を背景に先住民の多くを感染させてしまうことで、南米を支配していく歴史が注目されています。

 私は若い頃、米国の先住民に語り継がれている物語、戒律、儀式に触れる機会がありました。海や山や大自然の神から命をいただく、感謝と祈りと共に命を返していく循環的な世界観が先住民にはありました。日本では北海道白老町に国立アイヌ民族博物館と共に「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開館するタイミングです。コロナ禍は人類史の振り返りを迫っているのです。

「ウポポイ」内覧会の屋外ステージで披露されたアイヌ舞踊=2020年6月9日、北海道白老町

涌井 明晰な分析です。1854年に米国14代大統領フランクリン・ピアースに対してシアトル大酋長が出した手紙の写しが手元にあります。「ワシントンの大酋長が土地を買いたいと言ってきた。どうしたら空が買えるというのか。どうしたら大地を買えるのか。私には分からない。風の匂いや水のきらめきをあなたはどうやって買おうというのか」と書き出している。

 豊かさとは経済力ではない。自分が生かされている環境をいかに大切にするのか、そこに豊かさの本質があります。先住民はそうした認識を持っていました。

 産業革命以降、人類はお金を豊かさの尺度にしてきました。このコロナ禍のもとでも、世界の人々が格差の矛盾に気づいたにもかかわらず、株価はどんどん高値を更新しています。異常な事態です。巨万の富をもっている一握りの人はお金を右から左に動かせば富み続けるというおかしな状況が露呈しているのです。ここでどう価値観を転換させるかが非常に大事です。

保坂 今年11月に米大統領選があります。トランプ大統領は非常にわかりやすい。50年前、100年前の米国の価値観、白人中心の偉大な米国であり続けたいという価値観をそのまま具現しています。一方で、サンダースを支持した若者たち、今回の抗議デモに参加した若者たちは決して黒人ばかりではない。白人の若者の姿もけっこうあります。多様な宗教や人種や言語を超えて差別のない社会をつくる、つくりたいという若者たちの強い意志を感じます。コロナ禍とジョージ・フロイドの犠牲と引き換えに出てきた新しい価値です。

涌井 米国の若者たちが訴えているのは「平等」といういちばん大きな権利です。誰もが自分が幸福であるための努力を妨げられないという権利です。これは、スウェーデンのグレタさんが気候変動問題で訴えた「大人への不信感」と共通しています。自分たちの世代が幸福を希求する権利を奪われないのかいう危機感を若い世代は共有しているのです。個を尊重し多様性を認める。コロナ禍の記憶を共有したことが、新しい価値観の醸成につながっています。

人類の「絶滅曲線」

保坂 コロナ禍のもとで、アフリカからアジアにかけてサバクトビバッタが大量発生して穀物を食べ尽くしています。これもまさに地球環境問題です。

涌井 サバクトビバッタの大群は中国にも入り始めました。このバッタもウイルスと同じで変容していくそうです。もともとは穏やかで美しい配色のバッタが、突然焦げ茶色になって目がつり上がり羽が膨らんで手足のトゲが強くなる。

 中国ではバッタの被害を「蝗害(こうがい)」と呼びます。古い文献をよむと、感染症と蝗害が重なって何度も王朝が倒れている。

 バッタの大群の発生も生態系の歪みです。コーヒーの原産地はエチオピア。もともとは小豆より少し小さい豆でした。生態系のなかでは、あまり大きくならないのが他の生物と共存する知恵なのです。ところが人間がそのコーヒーを各地の持ち込んで大きく育て、いまのコーヒー豆ができました。この結果、コーヒーの競争力が高まり、生態系の安定が崩れたのです。こうした中でそれぞれの種は生き残る使命に従い、サバクトビバッタのように異様な形となって襲ってくるようになりました。

 新型コロナウイルスも歪んだ生態系の結果です。お互いを尊重しあって共生することが重要なのに、それが損なわれると、世界はおかしなところへ追い込まれていくのです。

サバクトビバッタ=2009年10月、西アフリカ・モーリタニア、田中誠二さん撮影

保坂 バッタの大群も気候危機も、いったんバランスが崩れると人類の力で元に戻すのは難しいですね。世界は人類が簡単にコントロールできない段階に入っています。

涌井 ワクチンができてコロナ危機が安定しても、おそらく次の感染症が現れてくるでしょう。根本的な原因は、人間の個体数が肥大化していることです。生物はふつう妥当な個体数に落ち着くのですが、人類だけはものすごい勢いで増え続けています。これは生態学的にいうと「絶滅曲線」といわれる。安定して種を残していくシステムが崩れると、がん細胞みたいなのが現れてその種を絶滅させる力が働くのです。人間もそうなりつつある。自然と共生するすべを選択することがものすごく大事です。

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