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日本でもドイツでも「他者」だった彼が今、難民と向き合って思うこと

日独“ハーフ”の牧野アンドレさんが世界で難民支援にかかわるようになった道のり

安田菜津紀 フォトジャーナリスト

留学先のドイツで難民問題に興味を持つ

 牧野さんは高校時代に1年間、ドイツ・フランクフルト郊外での留学も経験した。日本とは離れた環境でも、「違和感」は常につきまとった。「学校に行くと、ドイツ国籍も持っているけれど、“日本人”という枠で見られるんです。ドイツに行っても“ドイツ人”としては見られない。日本にいても“日本人”として見られない。やっぱり“違い”の方に目がいってしまうんですよね」

 大学3年生のとき、再び留学したドイツには、中東をはじめ紛争地から多くの難民が逃れてきていた。2015年だけでも、その人数は100万人を超えたといわれている。

 「当時も、自分の中で、“他者”ってなんだろう、人と“違う”ってどういうことなんだろう、と考えていた時でした。だからこそ、毎日のようにニュースになっている“難民”とくくられた人たちはどういう人たちなんだろう、と興味を持ったんだと思います」

 当時暮らしていたベルリンでは、人口の1%が難民ともいわれていた。公園を散歩していても、中東系らしいヒジャブをかぶった人たちをより多く見かけるようになり、もはや「ニュースの中の出来事」ではなくなっていた。

 「難民の人たちを歓迎する動きがある一方で、『難民を入れるな』という彼らへのバッシングもありました。“違う人”とくくって排斥しようとすること、“違う人”たちだからウェルカムじゃない、“違う価値観を持っている人”たちだからうちに来るな、と矛先を向けられることは、自分が経験してきたことと重なるものがあったんだと思います」

 ベルリンの施設でボランティアとして食料配布の活動に携わった後、牧野さんは春休みにギリシャへと向かった。トルコから多くの難民がゴムボートで命がけの旅をした後にたどり着く、当時、最もニュースになっていた場所だった。

拡大ギリシャ北部、ニアカバラキャンプで (C)Anton Sahler

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筆者

安田菜津紀

安田菜津紀(やすだ・なつき) フォトジャーナリスト

1987年神奈川県生まれ。Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。写真絵本に『それでも、海へ 陸前高田に生きる』(ポプラ社)、著書に『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社)。『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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