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新型コロナ危機と底が抜けた「無法国家」ニッポンの病理

自粛を要請した権力。独自の緊急事態宣言を出した首長。裁判所停止。もうなんでもあり

倉持麟太郎 弁護士

法の支配も無法のストッパーも不在のニッポン

 我々の権利・自由が、ある程度の強制性をもって制限されるときは、我々の(一応の)代表者たる国会が制定した法律によるしかないというのが、民主主義国家のキモである。こうした事態における行政の判断に対する国会承認や、国会による批判的討議は、法律に準ずるものとして、民主的統制の重要な発動局面に他ならない。

 「法」の大切な役割は、どこまでが自由でどこからが制限されるのかのラインを明確化することによって、我々の行動の自由の外延を可視化してくれる。それ以上いけば違法というラインは、我々に予見・予測可能性を与え、その枠内で自分たちの人生を設計する。山に「これより立入禁止」の立て札があるからこそ、そこまではハイキングをエンジョイできるのと同じだ。

 この国では、権力者にとって幸いなことに、法的強制力、法的根拠がなくても、「自粛」を「要請」するだけで、国民が「一丸となって」権利行使を控えてくれる。罰則や強制力がない反面、国家が責任主体になりきらない緊急事態宣言は、むしろ市民社会にその責任と負担を丸投げしている。そして実際、法の根拠が薄弱なまま、コンサートも集会もレストランの営業も、「自粛」の「要請」という語義矛盾のままに実現された。

拡大「ミナミ区自粛警察出動」などと書かれた貼り紙。ヘア-サロンの入り口に貼られていた=大阪市中央区
 「自粛」に違反した人たちに対しては、政府が頼まずとも、メディアや市民社会の“自粛警察”というプレイヤーが率先して、魔女狩りの先頭に立ってくれる。政府は悪役すら果たす必要がない。

 「要請」自体がいわゆる強制力(処分性)を有しないから、それ自体はもちろん、自粛警察らによって被害や損失を被った人々が訴え出ても、裁判所では門前払いされるだろう。

 さらに言えば、緊急事態宣言を受けて、裁判所は一部の例外を除いて、一斉に4月8日以降の裁判期日(裁判を行う予定の日)を取消した。権利自由、法の支配の砦たる裁判所、最終的には緊急事態宣言自体の合法・違法を判断するかもしれない裁判所が、機能を停止する。まさしく司法は「不要不急」であると宣言したかのような凶行であり、司法権の自死である。裁判所の権利自由や法の支配に対する思考停止のスタンスは、我が国の無法のストッパーの不在を意味している。

 法学部で習う言葉にLRA(less restrictive alternative「より制限的でない他の選びうる手段」)がある。権利制約の場面で、目的達成のために当該制約よりももっと権利を制約しない手段がないか検討せよ、というルールだ。

 ここまで見てきたあらゆる「無法」に関して、なぜこのような考慮が働かなかったのか。一斉休校、緊急事態宣言の延長、裁判所の全期日取消を決めるに際し、より権利制約を少なくする他の手段を選びうる余地はなかったのだろうか。そもそも、そのような検討はされたのだろうか。

 さあ、今こそ事後的な検証といっても、議事録も記録も残らないなかで、どうやって検証すればいいのだろうか?

 宣言解除後に残っているのは“あの”マスク2枚だけというのでは、喜劇にもならない。

「命」を蔑ろにした国家の存在意義

 新型コロナの感染拡大や緊急事態宣言前後の経緯から浮かぶのは、安倍政権と小池都政が、「人々の命」や「国家の存亡」よりも他の事情を明らかに優先したということだ。

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筆者

倉持麟太郎

倉持麟太郎(くらもち・りんたろう) 弁護士

1983年、東京生まれ。慶応義塾大学法学部卒業、中央大学法科大学院修了。2012年弁護士登録(第二東京弁護士会)。弁護士法人Next代表弁護士・東京圏雇用労働相談センター(TECC)相談員として、ベンチャー支援、一般企業法務、「働き方」等について専門的に取り扱うも、東京MX「モーニングクロス」レギュラーコメンテーター、衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考人として意見陳述(2015年)等、企業法務実務の傍ら、憲法理論の実務的実践や政策形成過程への法律実務家の積極的関与について研究。共著に『2015年安保~国会の内と外で~』(岩波書店、2015)、『時代の正体2』(現代思潮新社、2016)。

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