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今こそ「統治行為論」を消去せよ!

砂川事件最高裁判決で調査官メモが意味するもの~揺らぐ統治行為論の正当性

豊 秀一 朝日新聞編集委員

 砂川事件最高裁判決は、日米安全保障条約の合憲性が争われ、統治行為論が採用された先例として、憲法の教科書に必ず登場する。

 この判決に関して、6月13日付の朝日新聞朝刊1面に、筆者の署名による「最高裁判決直前 原案批判のメモ 担当調査官名で 『高度な政治判断は裁判の対象外』示した砂川事件」(東京本社発行版)との見出しの記事が掲載された。判決を担当した足立勝義・最高裁調査官が、1959年12月16日の判決言い渡し直前、「相対立する意見を無理に包容させたものとしか考えられない」と、判決原案を正面から批判するメモを作成していた、ということを特報したものである。

 この判決をめぐっては、「不可思議な論理」などと研究者の批判にさらされてきた。最高裁内部から多数意見の論理的矛盾を突く調査官メモは、統治行為論の弱さを示し、その正当性を問うものだ。

 昨年12月11日、筆者は、判決にかかわった河村又介判事の親族宅を訪れ、遺品を閲覧させてもらっていたところ、箱の中から偶然、メモを見つけた。新聞紙面で十分に紹介できなかったメモの内容を紹介しつつ、それが今の時代にどんな意味を持つのか、改めて考えた。

Ⅰ 砂川事件最高裁判決とは何だったのか

 そもそも砂川事件とは何だったのか。

 東京都砂川町(現立川市)の旧米軍立川基地の拡張計画をめぐって、住民や学生、労働組合員などが激しい反対闘争を繰り広げた「砂川闘争」の中で起きた事件だった。1957年、反対する学生ら7人が基地に立ち入ったとして、旧日米安保条約3条に基づく刑事特別法違反の罪で起訴された。

 東京地裁(伊達秋雄裁判長)は1959年3月30日、同法の前提である米軍駐留について、憲法9条2項が禁じる戦力にあたり違憲と判断し、全員に無罪を言い渡した。検察が跳躍上告し、最高裁(裁判長・田中耕太郎長官)は1959年12月16日、判決を言い渡し、「日米安保条約は違憲とは言えない」とする結論を裁判官15人の全員一致で出した。ただし、結論の理由付けは12人による「多数意見」と、それとは異なる3人の「意見」に分かれた(図①参照)。

図①

 多数意見は、米軍駐留が憲法9条などの趣旨に反するかどうかを、ざっと以下のような論理立てで説明した。

(1) 日米安保条約は、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有し、その内容が違憲かどうかの法的判断は、内閣および国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点が少なくない。違憲かどうかの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のもので、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものだ。一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のもので、それは第一次的には、内閣および国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的判断に委ねられるべきものである。
(2) 駐留軍隊は外国軍隊であり、わが国自体の戦力でなく、指揮権、管理権はすべて米国に存する。目的もわが国及び極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることにある。駐留を許容したのは、防衛力の不足を平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものにほかならず、米軍駐留は憲法9条や前文の趣旨に適合こそすれ、違憲無効があることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。

 (1)で「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは」と条件をつけながらも「司法審査の範囲外」といい、(2)で「憲法9条や前文の趣旨に適合こそすれ」と実質的に合憲判断を下している。素直に読むと、(1)と(2)は反対のことをいっているように見える。

 反対の論理をつなげている多数意見のおかしさについて、奥野健一、高橋潔の両裁判官は、「意見」の中で次のように批判した。

 安保条約は裁判所の司法審査権の範囲外のものであるとしながら、違憲であるか否かが『一見極めて明白』なものは審査できるというのであつて、論理の一貫性を欠く」「多数意見は結語として安保条約は一見極めて明白な違憲があるとは認められないといいながら、その過程において、むしろ違憲でないことを実質的に審査判示しているものと認められる。

 なぜ、こんな無理な論理を重ねたのだろうか。

 長谷部恭男・早大教授(憲法)はこう推測する。「大法廷の内部には、司法判断を全面的に避けるべきだという裁判官から、合憲だと言い切るべきだという裁判官まで、多様な見解が分布していたのでしょう。それらの見解を微妙につなぎ合わせながら、可能な限り多数の裁判官による法廷意見を構築しようとした結果、妙にねじくれた見解が生まれているように思われます」(『憲法講話』(有斐閣)341頁)

Ⅱ 多様な裁判官の見解を裏付けるメモ

 メモはB5版8枚で、日付は1959年12月5日。判決言い渡しの11日前にあたる。冒頭に「砂川事件の判決の構成について 足立調査官」と書かれ、書き出しはこう始まっていた。

 裁判官の各補足意見又は意見において、多数意見として引用されているものは、果たして多数意見といえるか否か疑問であると思う。

 いきなり、判決原案への疑問を正面からぶつけたのである。メモはこう続く。

 このいわゆる多数意見に同調しながら、補足意見において、安保条約の合憲性につき、田中、河村(大)両裁判官は、判断を示し合憲とされ、島裁判官は、右の同調の点はとも角として、安保条約を合憲と判断しておられる。また、垂水裁判官も、安保条約について『合憲と判断ができる』、『私見によれば合憲であると判示してよい』(二六頁二八頁)とされている。右四裁判官の意見は、安保条約の如き高度政治性の統治行為については裁判所の審査権の範囲外であり、内容に立ち入ることはできない(一見明白云々の場合は、今は触れません)、従って合憲違憲の判断もできないとする、藤田・入江両裁判官の意見と相対立する。だから、私の見解では、前記四裁判官の意見は、むしろ、条約について違憲審査権があり、本件安保条約の合憲性についてはその内容に立ち入り合憲の判断を示すことができるとする、小谷、奥野、高橋、石坂の四裁判官の意見と一致し、計八名の多数意見となる。垂水裁判官の意見は合憲判断を示していないと見ても、合憲判断を示した裁判官は七名である。従って、かりに前記のいわゆる多数意見のみの五裁判官(斎藤、河村(又)、池田、下飯坂、高木)が、藤田、入江裁判官と同意見であっても、その計は七名であるから、多数意見とはならない。

 判決の中身が頭に入っていないと、理解が難しいメモである。私も最初はさっぱりわからなかった。思い切ってかみ砕いて説明したい(図②を参照)。

 ポイントは次のように説明できるだろう。

① 「多数意見」(判決原案で示されている「多数意見」)が、本当に「多数」といえるのか、疑問である。
② 「多数意見」は対立する見解から構成されている。(a)合憲判断をしているグループ(b)司法審査はできない(統治行為)とするグループ(c)それ以外のグループ(補足意見を述べていない5人)、の3つである。
③ 補足意見を読んで判断すると、「多数意見」の中で合憲判断をしている(a)グループは、田中耕太郎、河村大助、島保、垂水克己の4裁判官。このグループの意見は、司法審査はできないとする(統治行為論を採る)(b)グループの藤田八郎、入江俊郎の2裁判官の意見と対立している。
④ 田中長官ら(a)グループ4人はむしろ、違憲審査権があって安保条約の合憲性を判断できるとしている小谷勝重、奥野健一、高橋潔、石坂修一の4裁判官の意見と一致し、これを合わせれば「合憲」とする8人の多数意見を作れる。
⑤ もし垂水裁判官が合憲判断をしていないとみても、合憲判断をした(a)グループは7人になる。一方、(b)の「それ以外のグループ」5人の意見が、司法審査をできないとする(c)の入江裁判官ら2人と同じだったとみても足して7人。(a)と、(b)(c)とも15人の裁判官の過半数にはいたらないから、多数意見とはならない。

 長谷部教授が指摘するように、「司法判断を全面的に避けるべきだという裁判官」=bグループと、「合憲だと言い切るべきだという裁判官」=aグループの存在、そしてcグループも含めた、「多様な見解」が裁判官の中にあったということがメモから裏付けられる。

Ⅲ 「多数意見」をなくすことを提案したメモ

 メモはさらに続ける。

 本件の争点は、安保条約についてそれが合憲か否かの問題であって、統治行為なる概念についての問題ではない。安保条約の内容に立ち入り合憲(注、違憲という判断ではない)と判断することができるかどうかの点を基準にして、多数意見か少数意見かを決定すべきではないかと考える。門前払式に審査権の範囲外か否かの点を基準にして、多数意見か否かを決定することは、その点につき八名の多数意見がない以上、許されないのではないか。

 メモは、統治行為論では「多数意見」を作ることができていないので、それを理由に訴えを退けることは許されないと指摘している。

 そして、判決全体の構成を抜本から見直すように、以下で具体的な提案をしている。

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