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「新しい検察庁法改正案」はかくあるべし

副検事の立場への配慮ならびに検察官適格審査会の活用を

登 誠一郎 社団法人 安保政策研究会理事、元内閣外政審議室長

 今年の通常国会の最大の与野党対決法案となった検察庁法改正案は、数百万回を超えるツイートというネット上の反対運動、改正法案に反対する松尾邦弘元検事総長ら10数名の有力検察庁OB及び熊崎勝彦元東京地検特捜部長ら30数名の特捜検事OBによる意見書の提出、さらには渦中の黒川東京高検検事長の賭けマージャンによる辞職、と異例づくしの経過を経て、6月中旬の国会閉会に伴い廃案となった。

 政府・与党は同法案中の定年延長の特例規程等一部を修正の上、再度、国家公務員法改正案との抱き合わせで次の国会に再提出する考えと伝えられている。しかしその具体的検討状況は明らかにされておらず、また6月末に森雅子法相が突然提案した「法務・検察行政刷新会議」の議題・メンバーも不明のままである。

 検察庁法改正案をめぐる問題は、安倍内閣の支持率を政権発足以来最低の水準である30%以下に下落させたように、国民の関心が極めて高いものであるので、現在進行中の河井前法相夫妻の公職選挙法違反事件の捜査と立件の進捗状況とも相まって、政権の検察制度についての基本的な対応ぶりには目が離せない。

 そこで本稿においては、今回の一連の騒動の発端に立ち返って、何が問題であるのかを改めて吟味し、その対処法を考えることにより、今後の検察庁法のあるべき姿について提案したい。

⾞から降りて無⾔で⾃宅に⼊る東京⾼検の⿊川弘務検事⻑=2020年5⽉21⽇、東京都⽬⿊区

なぜ検察官の定年延長を議論する必要があるのか?

 現在の検察庁法によると、検察官の定年は63歳(検事総長のみ65歳)であるが、昨年想定されていた改正案の原案においても、また、その後に修正されて国会に提出された改正法案においても、①すべての検察官の定年は65歳とされ、②次長検事、検事長及び検事正は63歳に達した翌日に検事(即ちヒラの検事)に任命される、となっていた。これは具体的に何を意味するのであろうか。

 まず、①の点について見ると、これは、今後、年金受給時期が漸進的に遅くなることに応じた国家公務員の定年延長に合わせたものと説明されているが、ひとくくりに検察官といっても、定年後の生活保障は、検事と副検事では雲泥の差がある。

 検事(定員約1900名)は、定年後は弁護士、公証人、企業の顧問や社外取締役などとして、総じて安定した収入が確保されている(いわゆるヤメ検)。これに比して、ほとんどが司法試験合格者ではない副検事(定員約900名)は、定年後は一般公務員と同じく再就職はそう容易ではないので、国家公務員並みの定年の延長が望まれる次第である。

 これの意味するところは、定年延長が必要なのは、副検事であって、検事にとっては定年延長はほとんど恩恵もなく、あまり関係のない制度変更である。因みに、検察庁職員総数の4分の3を占める検察事務官の定年は、国家公務員の定年延長に伴い、段階的に65歳に延長される。

 次に②の点については、次長検事、検事長、検事正といった幹部が63歳以降もそのポストに留まることは、人事の停滞を招くことになるので、63歳になったら、その後の2年間はヒラ検事として働くという制度である。

 しかし、これは現実的な制度とは到底思えない。63歳で退官すれば収入の良い再就職口が待っている幹部検察官で、この制度を利用して、ヒラ検事に戻ってあと2年間働く人がいるであろうか? 筆者の友人のほとんどの検察官OBは、これは無意味な制度変更であると述べている。

oasis2me/Shutterstock.com

 以上総合すると、検察庁法22条の検察官の定年に関しては、検事総長は65歳、それ以外の検事は63歳の現行通りとし、副検事のみ2年延ばして65歳とすることが適切である。

 なお改正法案の様に、すべての検察官の定年を65歳とすることは、人事の停滞を防止するために役職定年制度が必要となり、それが別の不都合を生じるので、避けることが望ましい。

なぜ法務・検察幹部は違法性の疑義のある閣議決定に同調したのか?

 司法記者クラブのベテラン記者が筆者に述べたところによると、稲田伸夫検事総長の後任として、黒川弘務東京高検検事長と林真琴名古屋高検検事長のいずれかを選ぶかについては、法務・検察の幹部の間で意見は分かれ、昨年の晩秋に、辻裕教法務次官が、果たして一般的に伝えられているように林氏の名前を官邸に持っていったのか、或は黒川氏の名前を持っていったのかは確証が取れていないとのことである。

 しかし官邸は黒川氏を推しており、7月に黒川検事総長を実現させるために必要な法的枠組みと理屈付けを法務・検察に指示したことは間違いないと思われる。

 黒川氏は、是非とも検事総長になりたいという権力志向型の人間ではなく、また稲田検事総長が2月の退官を承諾しない以上、自分が検事総長になる可能性は皆無と認識して、退官後の進路として最大手の弁護士事務所の一つであるN法律事務所に再就職を内定していた模様である。

稲⽥伸夫検事総⻑=2019年2⽉20⽇、東京・霞が関の法務省

 法務・検察側としては、既存の法的枠組み内で可能なことは、黒川氏を2月の誕生日前に一旦退官させて、本人が既に決めていた法律事務所に勤務させ、その後、稲田検事総長が退任する際に改めて検事総長に任命することである。検事総長は現職検察官から起用しなければならないという規定はなく、過去には、日弁連会長から検事総長に起用された例もある。これが取りうる第一のオプションであった。

 しかし、法務・検察としては、現役の検察幹部以外から検事総長を選ぶという前例を作ると、今後、時の政権からいかなる人物を検事総長として送り込まれるかもわからないことを危惧して、あえて、この完全に合法的なオプションを取らず、法的にも極めて大きな疑問の伴う、検察官の定年延長という第二のオプションを取らざるを得なかったのであろう。

 これから明らかなことは、閣議決定による検察官の定年延長は、法務・検察が苦慮した結果自ら考えだした手段であり、官邸から押し付けられたものではないことである。法務・検察としては、合法な第一オプションを取らずに、組織防衛の考慮を優先させて、合法性に多大な疑問のある第二オプションを取ったことについての責任は極めて重いと言わざるを得ない。

なぜ改正法案で検察官の定年の特例延長を導入しようとしたのか?

 筆者は、検察の現役、OBを通じて、「国家公務員法上の定年延長規程を援用して、閣議決定により、検察庁法上に全く根拠規定のない検察官の定年延長を実施することが合法である」と主張する人を聞いたことがない。

 森法相は、これは解釈変更によって可能となったと国会で発言し、さらに、その解釈変更の事実を公表しなかったことの理由として、「国民生活に影響がないことなので」と答弁した。この定年延長は、検察官、特に前述の副検事自身にとっては、身近な関心事である。政権は、果たしてこういう人達を含む法務・検察の内部に対して、速やかに解釈変更の事実を伝えたのであろうか。残念ながらそういう形跡はない。

衆院法務委で答弁する森雅⼦法相=2020年5⽉22日

 いずれにしても、現役の検察官にとっては、自分たちの組織のトップ3の一人という重要人物が、合法性の疑わしい閣議決定によってそのポストにとどまって給料をもらい続け、それに対する訴訟も起こされかねない状況となり、さらには近い将来に当人が検事総長への昇進も予定されるということは、勤務のモラル、意欲を著しく減退させる事態である。

 熊崎意見書の署名者の一人である特捜部検事のOBは筆者に対して、改正法案において役職定年の特例延長が盛り込まれたのは、定年延長を合法化することにより、検察庁内およびOBの間で沸き上がった以上のような虚脱感を払拭するためであったと考えるとの趣旨を話してくれた。

 その意味では改正法案による定年の特例延長は「後付け」ではあるが、黒川氏が思いもよらぬ理由で辞職した現在、政権による恣意的運用の恐れのぬぐい切れない形での定年の特例延長は、基本的には不必要と思われる。

例外的な定年延長は「検察官適格審査会」の議決を条件とすべし

 しかしながら、適材適所の人事配置、人事異動を行うに当たり、定年の壁が支障となるケースが生じ得ることは否定できない。

 例えば、検察官Aが検事総長になるべき人材であると衆目一致して認めているが、病気などの理由で同人の検事任官が2~3年遅れていて、前任の検事総長が退任する以前に検察官Aは既に63歳になってしまうようなケースである。

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