メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

朝鮮戦争と兵隊・武器・弾薬を輸送した旧国鉄の戦争協力

朝鮮戦争70年 日本の「戦争協力」③日本で訓練した韓国軍の輸送にも動員され

徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学教授(ジャーナリズム論、写真論)

1950年6月25日に始まった朝鮮戦争を契機に日本の産業界は活況を呈した。戦争による「特需景気」の到来である。日本重工業地帯の一つ、京浜工業地帯の川崎・鶴見地区で大小の工場から黒煙が上がるなか、労働者たちが工場の門に向かう=1950年10月、神奈川県川崎市

 朝鮮戦争は、戦後憲法を制定して平和国家となった日本の経済復興に大きく寄与した。と同時に、日本は戦争の兵站(へいたん)基地となり、米兵や韓国兵、軍事物資の輸送にあたった。

 日本の港から韓国までの海上輸送は、この連載「朝鮮戦争70年 日本の『戦争協力』」で述べてきたように、日本の民間船舶などが担った。そして、基地や軍需品を製造する工場から日本各地の港までの国内輸送は、もっぱら国鉄(日本国有鉄道)が利用された。

 若い人にとっては「国鉄」という名は馴染みが薄いかもしれない。国が所有していた国鉄は、中曽根康弘内閣がおこなった行政改革によって、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)、東海旅客鉄道株式会社(JR東海)など6つの地域別「旅客鉄道会社」と1つの「貨物鉄道会社」などに分割民営化。これらの会社は1987年4月に発足した。

GHQの占領下、躊躇なく「戦争協力」した国鉄

 本稿で述べるのは、連合国軍総司令部(GHQ)による占領下の国鉄時代の話である。もとになっているのは、残されている数少ない公式記録、国鉄が1957年9月に発行した『鉄道終戦処理史』である。

 同書には、次のように記されている。

 「動乱勃発とともに、(連合国総司令官の配下の)民間運輸局、第8軍、第3鉄道輸送司令部等は、動乱輸送に対し国鉄の協力を求めてきたため、国鉄はこれに対し最善の協力をすることとなり、関釜連絡船のやとい上げ、朝鮮向け兵員、物資の輸送、朝鮮鉄道等の資料の提出、物資調達、技術援助、機密保持、輸送に対する警備等必要な措置をとった」

 ここで目を引くのは、「国鉄は最善の協力をすることとなり……」という文言だ。当時、GHQからの要請や指令が絶対的なものであったことは推察できるが、ほとんど何の躊躇(ちゅうちょ)もなく「戦争協力」していったことが伺える。

米軍への列車ダイヤを最優先、機密保持は絶対

 連合国最高司令官のマッカーサー元帥が戦争勃発後、最初にとった行動は、韓国に駐留する米軍人とその家族、民間人の保護、日本への引き揚げだった。国鉄に対しては、第3鉄道輸送司令部から、九州に脱出した米国人について「事態は緊急であるため、日本側列車に支障があっても要請通り実施されたい」という旨の要求があった。

 これを受けて国鉄は、1950年6月29日に運輸総局長から関係鉄道局長に「朝鮮動乱勃発に伴う緊急輸送について」とする指令書をだした。指令書は「輸送計画」「輸送実施」「機密保持」の3項からなり、それぞれ具体的に、
「急遽計画され或いはその内容変更若しくは取り消しなど、緊急措置によるものが多く……絶対これらにつき過誤なきを期すること」
「引揚者の輸送に当たっては、特にその接遇に萬全を期すること」
「輸送関係事項は……部外には絶対これを漏洩しないように格段の配意をすること」
などと指示している。輸送に際し列車ダイヤの最優先、絶対の機密保持を課すという気の使いようだ。

兵員や軍需品の本格輸送はじまる

Everett Collection/shutterstock.com

 韓国からの米国人の「引揚(脱出)輸送」につづいて、米軍を中心に英軍などからなる連合軍の朝鮮への緊急出撃が決定されたため、GHQの輸送司令部から国鉄に「朝鮮派遣輸送」の要請があった。かいつまんでいうと、占領任務に従事する米軍第8軍は日本各地に展開しており、国鉄はそれぞれの駐留地から朝鮮へ向けての出発地(港)まで、部隊を輸送することになったのである。

 さらに、富士山麓において演習中の部隊を原隊に復帰させ、その後朝鮮に派遣する「原隊復帰輸送」も併せておこなわれた。ここに戦場に向かう兵隊と武器・弾薬などの軍需品の本格的な輸送がはじまった。

・・・ログインして読む
(残り:約4149文字/本文:約5779文字)