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われらの忘れがたき日本人~乗松雅休と曽田嘉伊智

豊臣秀吉の日本を憎む、伊藤博文の日本は嫌いだ、しかし……

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

乗松夫人の髪の救済

 乗松は貧しかった。わずかな宣教費すらほとんどを、自分以上に貧しい隣人の植民地朝鮮人を助けるために使った。食事をとることもままならず、貧しい暮しがながく続いた。

 そんなとき、乗松夫人は、空腹な朝鮮の青年たちや同僚伝道者たちになにか食べものを提供するために、自身の髪を切って食事の費用を捻出したことも一度や二度ではなかったという。

 そんな生活のため、ついに夫人は栄養失調で病いを得て、三十三歳の若さで、膝下に幼い四兄妹を残して死去し、水原に埋葬された。

拡大乗松雅休夫婦の墓と記念碑=筆者提供

乗松夫婦記念碑

 夫人と死別し、自らも栄養失調に加えて肺結核にかかった乗松は、1914年に帰国を余儀なくされる。しかし1919年の3.1独立運動のときには、朝鮮総督府の政策に抗議する意見を堂々と周囲に説いたという。

 1921年2月12日、享年五十七で死去。遺言で彼は水原の地に葬られることを懇願した。

 彼の生涯に感動した日本の企業家で白洋社の創設者五十嵐健治などの尽力で朝鮮に埋葬された。最初は水原の「光教山」麓に墓が作られたが、現在では移設されて、彼が設立した水原同信教会の敷地内にある。

 そこには、次のような記念碑が建てられている。

在主故乗松兄姉記念碑
生為主死為主始為人終為人其生涯忠愛己帯主使命而舎其一切所有夫婦同心伝福音於朝鮮数十年風霜其苦何如心肺疼痛皮骨凍飢手足病敗其於朝鮮犠牲極矣然動静惟頼主甘苦不改楽其生涯祈祷与感謝也得我多兄弟同会于主主名得栄其生涯苦而亦栄矣臨終口不絶朝鮮兄弟願遺其骨於朝鮮此所以為我等之心碑而至於主再臨之日也与

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筆者

徐正敏

徐正敏(そ・じょんみん) 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1956年韓国生まれ。韓国延世大学と大学院で修学。日本同志社大学博士学位取得。韓国延世大学と同大学院教授、同神科大学副学長、明治学院大学招聘教授、同客員教授を経て現職。アジア宗教史、日韓キリスト教史、日韓関係史専門。留学時代を含めて10年以上日本で生活しながら東アジアの宗教、文化、社会、政治、特に日韓関係を研究している。主なる和文著書は、『日韓キリスト教関係史研究』(日本キリスト教団出版局、2009)、『韓国キリスト教史概論』(かんよう出版、2012)、『日韓キリスト教関係史論選』(かんよう出版、2013)、『韓国カトリック史概論』(かんよう出版、2015)、『東アジアの平和と和解』(共著、関西学院大学出版会、2017)など、以外日韓語での著書50巻以上。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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