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新型コロナを契機に社会変革 日本を救うのは「排除」ではなく「包摂」

神津里季生・山口二郎の往復書簡(7) 働く人たちが声があげることが必要

神津里季生 連合会長

 私は法政大学の山口二郎教授との間でここ数年、「一強政治の弊害に歯止めをかけるためには、旧民主党勢力が一体となって力を持たなければならない」という思いを共有しつつ、幾度となくやりとりをしてきました。善後策も模索してきました。しかし思うに任せない状況が続くなかで、コロナ禍を迎えてしまいました。日本の政治はいったい何をしようとしているのか? いったいどこへ行こうとしているのか? 社会におけるあらゆる事柄がこれまでの延長線上では対処不能なことは明らかです。長期戦の先のトンネルの出口を渇望し、山口教授と(できれば2週間おきくらいに)書簡の往復をお願いした次第です。今日はその第4回目です。

連載・往復書簡 コロナ危機と政治 神津里季生・山口二郎

拡大東京・渋谷のスクランブル交差点では、東京都内で新型コロナウイルスの新規感染者が100人超になったことを伝える電光ニュースが流れていた=2020年7月2日、東京都渋谷区

山口二郎先生

 依然としてすべてがもやもやした感じの中にある日々です。新型コロナの感染者数が再び高位にあるなかで、なぜ政府や東京都は緊急事態としての対応を明示しないのか、多くの人々が率直な疑問を抱いています。

 もしかしたら感染者数の増は、検査の数そのものが増えているからかもしれない。でも、それならそれでわかりやすい説明があってしかるべきではないか……。人々にとって、依然として全体像がよくわからないという状況は、コロナ禍がはじまってもうすぐ半年になろうかという今も、全く変わりがありません。

為政者が利用してきた「不安」

 「緊急事態宣言や東京アラートの解除は何を意味していたのか、大きな疑問を感じます」と先生は前回の書簡「『やったふり』の政治家や政府は当事者が声を上げなければ変わらない」で述べられました。私も全く同感です。

 そしてこれは先生にさらにお尋ねしたいところですが、古今東西、為政者の歴史は人々の不安を利用し続けてきた歴史のように思えます。生殺与奪は自分の手中にある、と思わせることは、不安におののく人々の「おかみ頼み」の気持ちを増幅してきたことは間違いありません。

 しかし、ながい人類の歴史の中で、そういうことの繰り返しはそろそろやめにしなければならないのではないでしょうか。民主主義のマインドを着実におのが心に育ててきた人々からすれば、今回の、通天閣やレインボーブリッジを真っ赤にしたりする手法も、どこか怪しげに映ったのではないでしょうか。

拡大新型コロナウイルス感染症対策分科会の冒頭、あいさつする西村康稔経済再生相(前列右)。同中央は尾身茂分科会長、同左は加藤勝信厚労相=2020年7月6日、東京・霞が関

 政府の専門家会議が廃止され、専門家の方々は分科会に含まれる形となりました。しかしこのコロナ禍の初期に、専門家会議の説明や提言を受けて、政府は何をどのように人々に伝えたのか? 結果的に人々の恐怖を恣意的にコントロールするようなことになってはいなかったか、十分に検証されることが不可欠です。

 民主主義の国に生きる私たちには「知る権利」があります。民度の高さを海外に自慢するより前に、民度の高い国民に対しては情報を閉ざすことなくフルに説明する。当たり前の責任が政府にはあります。


筆者

神津里季生

神津里季生(こうづ・りきお) 連合会長

1956年東京都生まれ。東京大学教養学部卒。在学時は野球部マネジャー。79年、新日本製鐵に入社。84年に本社労働組合執行委員となり、専従役員の活動を始める。外務省と民間の人事交流で90年より3年間、在タイ日本大使館に勤務。その後、新日鐡労連会長、基幹労連中央執行委員長などを経て、2013年に連合会事務局長に就任、15年より同会長。近著に「神津式労働問題のレッスン」。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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