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テレワークにより気付かされた「接触」と「空間」の本当の意味

ウイルスが我々に問いかけているもの(7) 「接触」「空間」

花田吉隆 元防衛大学校教授

テレワークが増え出社人数が減ったダイドードリンコの本社オフィス=2020年6月4日、大阪市北区、加茂謙吾撮影

 テレワークは、思ってもみなかった広がりを見せつつある。都心にあるオフィスの解約が相次ぎ、地方移住の人も出始めた。やってみればできるじゃないか、結構使い勝手がいい。テレワーク利用率は全国で3割ちょっとだが、東京では5割だ。東京在住者の半分がテレワークを経験したことの重みは無視できない。コロナ後に大きな変化をもたらしそうだ。

「時間経済の拡大」と「空間経済の縮小」

 テレワークにより会社までの通勤時間が節約できる。それはまとまった2時間、3時間といった規模の大きさの時間であり、その経済効果は無視できない、と日経新聞はいう。これを「時間経済」という。今まで、電車待ちや電車内の20分、30分といった「細切れ」時間が新たな産業を生み出していた。人はその間に読書をし、音楽を聴く。しかし、これが2時間3時間のまとまった単位となると、全く別の新たな産業が生まれそうだ。つまり、コロナは「時間経済を拡大」した。

 人の時間は一日24時間だ。増えたものがあれば減ったものもあるはずだ。何が減ったか。「時間経済」をもじってやや強引に言えば「空間経済」だ。都心のオフィスという空間の利用価値が減り、市場規模が縮小し関連産業が衰退する。

 コロナは「時間経済の拡大」と「空間経済の縮小」をもたらしつつある。

 なにやら、コロンブスの卵を見ているようだ。ネットを使ってのテレワークは前からあった。スカイプは10年ほど前からあった。その利用により、遠隔地の人同士がカメラを通して話をすることができた。しかし、それがオフィスを代替する意味を持つと誰が考えただろう。コロナという天変地異が人の背中を押した。押されてみると、使い勝手は思ったほど悪くない。もっとも、スカイプは知っていてもズームは知らなかったが。

「接触」の意味をどう考えるか

 ここまでは、通常言われている範囲だ。問題は、空間経済の縮小は本当か、ということだ。換言すれば、「接触」の意味をどう考えるか。

 テレワークの技術がなかった時代、我々は何でもかんでもオフィスに持ち込み、その中で処理しようとした。人をかき集め、オフィスに入れ、仕事をさせれば何かが生み出される。それが当たり前と考えていた。

 テレワークの技術が生まれ、実は、その中にテレワークで代用できるものが多くあることを知った。つまり、何でもかんでも「オフィスの中に詰め込む」必要はなくなっていた。これまでオフィスの中で行っていたデスクワークから、オフィスを拠点に行う外勤の営業まで、テレワークで代替できることを知った。しかし、そのことは、「オフィスの中に詰め込む」ものがなくなったことを意味しない。オフィスの意味は依然失われていない。何が依然「オフィスの中に詰め込まれる」べきものか。つまり、オフィスの役割は何か。オフィスの意味を「洗い直し」オフィスを「純化」する必要がある。換言すれば「接触」の本当の意味は何か。

 つい先ごろ、英国でパブが再開された。パブは英国文化と切っても切れない。フランス人がカフェを愛するように英国人はパブに深い郷愁を感じる。人々は、何カ月にも及ぶパブ閉鎖の解禁を待ち焦がれるようにしてパブに押し寄せ、ジョッキを口に運んだ。ここでパブは単なる飲み屋ではない。馴染みが集まり談笑し、

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