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看過できない香港問題 日本外交は対中政策を転換せよ

人権国家として存在感を示すため、日本版・グローバルマグニツキ法の制定を提案する

山尾志桜里 衆院議員

 「目の前の仲間や家族が、人としての当たり前を望んだだけで踏みにじられている。それを見過ごしたら、人として何かを失う。私は香港人。そういう世界で育ってきた覚えはない」

 「自分の価値観を捨てたくない。民主化した香港を見たい。その思いが自分をこの場に立たせている」

 「条文公開は昨日深夜だった。見たらもう後にはひけなかった。逮捕されていった仲間への感情が湧き出した。今日も香港でデモに立っている仲間がいる。自分はここ日本でたたかう」

在日香港人の勇気を目撃した7月1日

 これらは、香港版国家安全維持法(以下、「国安法」という)の成立を受け、翌7月1日に議員会館で開かれた記者会見での在日香港人3人の言葉だ。

 この法律が施行されたことで、具体的な身の回りの危険があるため、彼らは黒いフーディーとマスク姿で顔を隠し、多くの場合、名前を名乗ることも難しい。しかし、この法律を強行しても自由を求める行動は阻止できないことが即日、可視化された。

 私はその傍らにいて、身近な人間の自由が一夜にして奪われる恐怖と、その恐怖に屈しない勇気の両方を目撃していた。

看過できない人権弾圧の光景に衝撃を受けて

 私が、「香港問題」に具体的に関与するようになったのは、昨年秋のことである。

 警察の暴力に関する独立調査委員会の設置や普通選挙の実現など、市民運動として極めて理のある五大要求を掲げて抗議運動を続けてきた香港の若者たち。その若者の1人が、丸腰であったにも関わらず、香港警察により、至近距離から上半身に実弾発砲を受けた。

 日本の隣国、しかも自由と民主と法の支配が実現されているはずの地域で、看過できない人権弾圧が現在進行形で行われている光景に衝撃を受けた。すぐに、法務委員会で質問した。日本政府の法務大臣から、グローバルスタンダードとしての法の支配を求める発言が欲しかったし、万が一に備え香港市民を日本に受け入れるスキームの準備も始めて欲しいと要請した。

 残念ながら、森まさこ大臣の答弁は心もとないものであったが、質問の後、少なくない議員から賛同の声をもらった。一方で、賛同議員が少なくないにもかかわらず、きちんと国会の場でこの問題を取り上げる議員がほとんどいないことに驚いた。保守もリベラルも、議員の背後にある政党の方針や、支援団体とのしがらみ、場合によっては中国政府とのしがらみにとらわれて、ごく当たり前の正論も言えない状態にあることに気づかされた。

 しかし、「みんなで渡ればこわくない。」という言葉もあるではないか。それなら、私が先に渡ってみよう。そんな思いで国会質問や国会外での発信を続けていたら、いつのまにか、在日香港人の若者たち、香港で活動する議員や運動家たち、あるいは世界中で香港市民の自由のために活動する議員や人権団体・シンクタンク関係者たちとつながっていった。

 今回の国安法施行という受け入れがたい現実と向き合い、対中政策の転換という国際社会の地鳴りに耳をすましながら、日本はアジアの実力ある人権国家として存在感を示し香港市民をサポートすべきだ。そんな思いで、この原稿の筆をとった。

香港国家安全維持法の施行に反対するデモ行進で、「(中国共産党の)一党独裁を終わらせよ」と書かれたビラを掲げる参加者(中央)ら=2020年7月1日、香港

人権侵害は国際問題であり内政干渉ではない

 香港問題について意見を表明する場面では、「内政干渉の反論をいかに封じるか」という問題が常につきまとう。

 あまりに多数の「非道さ」が存在するから、非難のロジックには様々なバリエーションがある。自由を奪っているから。人権を侵害しているから。香港の自治や民主主義を害しているから。法の支配・法治主義に反するから。英中共同声明に反するから。世界人権宣言に反するから。構築された国際秩序に反するから……。

 どの理由にも一定の理があるが、私自身は、いかなる国家も自由及びその自由を法的に裏打ちする基本的人権の侵害は許されないこと、そしていかなる国家も自らが当事者である国際約束の違反は許されないこと、という二つの理由が特に重要だと考えている。

 第一に「自由・人権」を置いた理由。それは、特定の国家における人権侵害、とりわけ国家による自国民に対する人権侵害については、その国の内政による治癒がおよそ期待できない以上、国際社会が声をあげる以外の選択肢はないからだ。

 もし、こうした侵害について国際社会が声を上げなければ、一体だれが声をあげるのだろうか? 国際社会が行動せずに、どうやって「包括的な世界人権ガバナンス」を形成するのだろうか?

 実はこの「包括的世界人権ガバナンス」という言葉は、中国の習近平・国家主席の言葉だ。ここに、世界人権宣言70周年における習主席のメッセージを引用しよう。

 「中国国民は各国の人々と共に平和・発展・公平・正義・民主・自由という人類共通の価値観を堅持し、人の尊厳と権利を守り、より公正で合理的かつ包摂的な世界人権ガバナンスの形成を後押し、人類運命共同体を共に構築し、世界の素晴らしい未来を切り開くことを望んでいる」

 価値観の順序には各国なりの温度差があるだろう(日本だったらこの六つの価値をどの順番で並べるだろうか。おそらく中国とは順序が変わるはずだ)。「個人の尊厳」ではなく「人の尊厳」としているのも、中国なりの哲学が看てとれる(たとえば欧州は「個人の尊厳」より「人間の尊厳」という概念を上位に置く場合がある)。各国家それぞれの歴史的・文化的・政治的な背景と、それに基づく価値観のグラデーションは尊重されて当たり前だ。

 しかし、習主席のメッセージにあるとおり、少なくとも中国も含めた人類共通の価値観の中には「自由」が含まれており、人の尊厳と権利を守るためには、包摂的な世界人権ガバナンスの形成が必要なのだ。

 国家による自国民に対する人権侵害は国際問題であり内政干渉の反論は当たらない。このことを私たち一人ひとりが自らの胸に、自らの言葉で落とし込むときだ。そうしなければ、7月1日の記者会見で質問された「日本の国会議員のどれ位の人が、内政干渉という反論に再反論できるのか」という懸念は、永遠に払拭されないだろう。

香港国家安全維持法を公布するため署名する林鄭月娥行政長官=2020年6月30日、香港、香港政府提供

国際約束違反を制御するのは国際社会の役割

 第二の理由に、私は「自らが当事者である国際約束違反は許されない」という点をあげた。

 先に書いたように、国家間には価値観のグラデーションがあって当然だ。それでも、人が1人では生きていけないように、国も単独では機能しない以上、価値観の違う国と“大喧嘩”にならないように関係を管理していく必要がある。その管理のための対話の知恵は、やはり「考えに違いはあっても、お互い納得して決めた約束は守らなければならない」という説得だろう。

 中国自身が賛成した世界人権宣言(1948)、そして自身が当事者である英中共同声明(1984)という二つの国際約束に違反する振る舞いを中国は自制すべきであり、自制が望めないときは国際社会が制御役を担わなければならない。

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