近代日本を貫く「大日本主義」と「小日本主義」
2020年07月16日
2020年7月の東京都知事選挙は、小池百合子知事の圧勝の裏で、30年にわたる野党再編が終わりつつあることを示していた。多くの主要な野党議員が自らの判断で、元日本弁護士連合会会長の宇都宮健児候補を推したからだ。支援を党議決定した立憲民主党、日本共産党、社会民主党に加え、小沢一郎議員、中村喜四郎議員、岡田克也議員、野田佳彦議員、原口一博議員、平野博文議員ら、保守系あるいは連合系と呼ばれるベテラン議員が、宇都宮候補を支援した。
これは、一見すると左翼的と思われる候補と政策であっても、これら保守系議員にとって共闘できる範囲にあることを明確に示した。従来であれば、支援せず、静観したと考えられる。なぜならば、彼らの選挙区は都外にあり、勝利の見込みの薄い選挙であり、所属政党・組織の支援決定もなく、支援する必然性・メリットに乏しかったからである。
さらに、野党議員の間で漠然としつつも「理念の軸」が共有されつつあり、それが従来の「保守・革新」「右派・左派」の軸を超えようとしていることも示している。その「理念の軸」に宇都宮候補の政策が合致したからこそ、ベテラン議員たちは自らの判断で支援をしたと考えられる。
野党再編が終わりつつあるとの認識は、この「理念の軸」による結集が進みつつあることから導き出している。1989年の「連合の会」から始まった野党(自由民主党以外の政治勢力)再編は、1994年の新進党、1998年の新・民主党、2016年の民進党など、政党や議員の諸事情に基づく離合集散であった。だが「理念の軸」による離合集散には程遠かったのが現実だ。その最たる再編劇が、2017年の希望の党騒動だろう。
さらに、共産党と「理念の軸」を共有しつつあることも、野党再編の終わりの兆しである。「確かな野党」として、他の野党との国政での共闘をしてこなかった共産党は、今では共闘を当たり前にしている。共産党はかねてより、暫定的な連立政権に加わる用意があると表明する一方、政策の一致を重視し、実際にはパートナーを得ていない状況であった。それが変化したのは、間違いなく「理念の軸」を共有しつつあるからだ。
それにより、立憲民主党・国民民主党・日本共産党・社会民主党などの野党議員たちは、いわば「野党ブロック」という勢力を形成している。1999年から自由民主党と公明党が「与党ブロック」という勢力を形成しているのに対し、約20年遅れて、もう一つのブロックが形成された。ここでいうブロックとは、一定の政策方針と協力関係を共有する複数政党の勢力のことである。
それでは「野党ブロック」の「理念の軸」とは、何か。残念ながら、当事者も含めて、まだ誰も明快にそれを示せていない。筆者も、拙著『政権交代が必要なのは、総理が嫌いだからじゃない』(現代書館)で試みたものの、端的に示せたとまではいえないだろう。
そこで本稿では「大日本主義」と「小日本主義」という歴史的な対立軸を用いて「野党ブロック」の「理念の軸」を考察する。与党ブロックのリーダーである安倍晋三首相が、長州出身の祖父で、東条英機内閣で国家総動員を担うほど「大日本主義」の立役者であった岸信介元首相を尊敬していることから、一つの手がかりになると考えた。
明治維新とその後の藩閥政府を担った長州藩士・薩摩藩士らの政治思想のルーツは、徳川斉昭の水戸学にある。水戸学とは、いわゆる尊王攘夷思想のことで「吉田松陰らを通して明治政府の指導者たちに受け継がれ、天皇制国家のもとでの教育政策や、その国家秩序を支える理念としての「国体」観念などのうえにも大きな影響を及ぼしてい」った思想である(注1)。
維新の元勲・藩閥政治家らに強い思想的な影響を与えた吉田松陰は、水戸学に傾倒し、自らの思想を形成した。日本を特別視する精神主義的な観念論である(注2)。
吉田松陰は、対外的な侵略を唱えた主でもある。吉田松陰が師の佐久間象山に送った手紙「幽囚録」には次の一節がある(注3)。
蝦夷(えぞ)を開墾して諸侯を封建し、間(すき)に乗じて加摸察加(カムサッカ)、隩都加(オロッコ)を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同(ちょうきんかいどう)すること内(うち)諸侯と比(ひと)しからしめ、朝鮮を責めて質を納(い)れ貢(みつぎ)を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋(ルソン)の諸島を収め、漸に進取の勢を示すべし。
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