「和解学」研究の早稲田大学教授、浅野豊美さんに聞く
2020年07月16日
日本と韓国の政府は、また「歴史」をめぐって対立を深めている。
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」を説明する施設「産業遺産情報センター」(東京都新宿区、2020年6月公開)が問題のタネだ。朝鮮半島出身の徴用工への差別は「聞いたことがない」などとする証言が展示されていることに韓国側が反発。日本政府の対応次第では登録の取り消しを求める構えだ。
徴用工をめぐっては働かせた日本企業に賠償を求めた韓国の最高裁(大法院)判決でも、日韓は対立している。この問題をどう考えるべきなのか。
第2次世界大戦末期の朝鮮・台湾人の処遇問題に詳しく、韓国をはじめ、中国、米国などの研究者とも連携して「和解学」の研究を進める早稲田大学の浅野豊美教授に聞いた。
「明治日本の産業革命遺産」の登録を決めた2015年の委員会では、韓国が構成資産の一部で朝鮮半島出身者の強制労働があったと主張し、歴史的事実を無視したままでの登録に強く反発。日本は、意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされたことなどを理解できるような適切な情報発信をすることを約束した。「産業遺産情報センター」はそのための中核施設。
――産業遺産情報センターに行ってこられましたか。
予約しているのですが、観覧できるのは8月で、現時点ではまだ見ていません。ただ、報道ベースでみると、長崎の端島炭鉱で働いた日本人鉱夫や当時の子どもたちの証言によって、朝鮮人という名指しや実際上の差別は存在しなかった主旨の展示が行われ、それが韓国側を刺激しているようです。
こういった現代人の感情をいまだに刺激する問題を解く鍵は、戦時中の公文書の活用にあります。
はい。報道に接した時、私は自分が大学院の論文で取り上げた第2次大戦末期の朝鮮人・台湾人の差別的処遇改善問題を思い浮かべました。
日本は、欧米植民地からの「アジア解放」を大戦の正義として掲げつつ、朝鮮と台湾を植民地支配しました。現代的視点からすると、逆行しているように見えますが、当時の法制上の矛盾に為政者はいかに取り組んだのかがわかります。
――差別的な処遇はあったのだけれど、そんなことはないかのように、つじつまを合わせる必要があったということですか。
そうです。徴兵制によって矛盾がますます拡大する中、日本政府は最終的には朝鮮と台湾へ衆議院議員選挙を拡大していくことさえ真剣に検討しました。国民の義務と権利が徴兵と参政権で対になっていたため、徴兵制施行後は「まだ同化していないから参政権は与えられない」という論理が通用しなくなったからです。
公文書を調べると、内閣や朝鮮総督府、帝国議会関係者が、当時の朝鮮人や朝鮮統治にいかなる考えを抱いていたのかが浮かび上がってきます。当時、内地の日本人が朝鮮や台湾の人々にどれほど強い差別感情を持っていたのか、またそれを除去するための法令や行政指導として何がふさわしいのか、日本の権力層が延々と議論した様子が記録されています。
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